無題

もう先が長くないと思い、住んでいたところを引き払って、ここに越してきてから半年になろうとしている。

知人は一人もなく、家にこもって、本を読む(いまは久しぶりにホッブズが読みたくなっているのだが、もう先がないので読むことはないだろうと思い、引っ越しの時にひとにあげてしまって手元には一冊もない。すこし後悔している。図書館には行こうという気が起こらない。ここの図書館はたぶん混んでいるだろうと思うと足が向かない。それで、手元にある近代政治思想関係の本などを見ている・・・また購入する事になるかもしれない)か、ネットでドラマを見る(いまは”リゾーリとアイルス”とかいう刑事ドラマをみている、期待しないで見始めたせいか、面白い。が、いまシーズン6だから、今月中には見終わってしまうだろう。)か、散歩するか、庭の草を取るか。

ぜんぶ自分のペースで出来ることしかしないようにしているので、この分だと、思ったより長生きしてしまうかもしれないとも感じている。

人に合わせたり、手伝ったり、自分のペースを乱すことになると、どうなるか、自信はない。そういうことには、もう体力的にも自信がなく、引き受けてもまったく責任が持てないように感じる。だから、

 

ここのところ、毎日ニュースでウクライナのことを見ることになっているが、自分があそこに居ればもうとっくに生きてはいないだろうなあ、と思う。

テレビの画面を見ていて、理不尽だとかと思うこともあるが、生まれてから今まで理不尽だと思わないようなことがどれほどあったか。

いろいろ読書していた中で、ダーウィンの進化論の、適者生存というのに、妙に納得してしまったことを思い出す。そして

適者とはとても言えない自分が、環境に恵まれて、ほそぼそと生を盗んで生きているという現実を思うのである。

 

もう少し暖かくなったら、今回は「観音さまの立像」に挑戦しようかと考えている。これは、腕から先は別に作らなければならないのだが、それをどうするかは、考えていない。