『アレント入門」を読んで、あれこれ考えていた。
やはり、すごい力技だなあ、と。
梃子の支点は、自分の存在、ということなのだろう。
ナチに存在を全否定され、友達も師もそれに加担したという。
昨日までの友が敵になる、敵になるだけでなく、ワタシの存在を全否定する・・・。
ナチが滅びた後で、何もなかったように
また、仲良くなれるモノだろうか。
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一頃、「みんなで渡ればコワくない」という言葉が流行った。
これは、善とも悪とも無縁の、「そうだね」という感じであった。
そのずっと前、子どもの頃に「長い物には巻かれろ」という言葉があった。
これは、ボクの感じでは、それではいけないよ、というように聞こえたのだが
実は、大人はみんなそうしている、というようにも感じた。
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海中の、魚の泳いでいるところを撮った映像を見ていると、
誰が先導しているわけでもなく、一つの群れで泳いでいる様子が分かる。
しかし、そこにサメやアザラシや海鳥などが入ってきて、サッと群れが分かれるのだが、逃げ遅れたある個体が食われる。
食われた奴は、単についていなかった、ように見える。
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統計や傾向や偏差値などに慣れているので、だれもが平等な、AでありBであるようなつもりで生きている。すると、この小魚の群れの中の一員のような気になる。落ちこぼれてしまうのは、単についていなかったのだ、と。
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考えているつもりでいたのが、実は、側線に感じられる水の流れに反応している魚のような、反射運動に過ぎないのかも知れない。しかし、その、食われる個体としては(初めて群れではなく個体として存在するのだが)冗談ではない!
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ボクは、難しい言葉は苦手だが、書かれてあることには思い当たることも少なくなく
「さてどうしたものだろうか」と何度か立ち往生した。
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修行者は、サイの如く一人歩む、のが身上なのだが
師の教えを墨守するようなところがあり、視野が極端に狭いところもある。
気付いたら群れから外れてしまっていたということもあり、群れを忘れて勝手なことをしてしまっていることも少なくない・・・
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だんだん、何を書きたいのか分からなくなってきた(簡単に収束しないような)ので、ここで中断します。