真夜中1時ごろ目覚めた。ホトトギスが鳴いている。
そういえば昨日、卯の花が咲いているのを見たな。
子どもの頃覚えた〈うのはなの におうかきねに ほととぎす はやもきなきて〉という歌が浮かんでくるので、一方が他方を連想させるのである。
言葉を使う人間だけが意識する繋がりだろうか
犬は言葉を操らないから、別々のものとして捉えているのか、いや、そもそも、意識に上っているかどうか。
人間だって、夜中にホトトギスの声を聴いたとしても、名を知らなかったら、
記憶に残るかどうか。
なんか気持ち悪いね。獣かな、と思うのかも。
言葉が記憶を豊かにするとするならば、ボクは、あまりにも言葉を知らなすぎる。
多くの経験は貧しいまま、消えてしまったことになるのだろうか。
ふとそんなことを考えた。
・・・・・
高校生の頃、衣替えの前しばらくは、暑くて詰襟を脱ぎたくてたまらない日が続いた、そしてやっと脱ぐことが出来たころには、寒くて上着が欲しくなった。
今年も、そういう、曇り空や雨の日の多い季節になってきた。
散歩は、時刻にこだわらず、歩けるときに歩くようにしないと、運動不足になってしまうかもしれない。それよりなにより、周りの景色の変化を見逃してしまうことになる。
ちょっと勿体ないかもしれないな。