『漱石 母に愛されなかった子』(岩波新書)

母に愛されなかった。この言葉が気になって、読んでみることにした。

母に愛されなかった人は多い。愛された人と同じぐらいいるのではないか。

愛されたかどうか、は、きわめて主観的なことのようにも思う。主観的には、ボクも愛されていなかったと思っている。

 

しかし、この間から話題になっている「山上容疑者」をはじめ、客観的にも、愛されなかった人々が、現代では注目されている。

その延長上の読書ではないけれど、というのも、もともと漱石はかなり読んでいた、といっても、漢詩や短文、講演の筆記などが多かったのだが(小説は、3つほどしか読んでいないかな)

確か、江藤淳さんの書かれた漱石の評伝では、「兄嫁」がキーワードだったような記憶がある。「母」が注目されるのは、今回が初めてだろうか

それと、買ったけれども読んでいない『日本語が亡びるとき』(ちくま文庫)。この本をぱらぱら捲っていた時に、かなり後の方に、今、漱石が生きていたら、日本語で小説を書こうとするだろうか、というような意味の言葉があり、目に付いた。

確かに、あの時代だから、ああいう小説を書いたが、いまなら全く違う問題意識を持つだろうから・・・しかし、母に愛されるかどうかは時代を超越している問題だから、今でもやはり小説は書こうとするかもしれない。・・・それは、何語であろうか

ボクは、一番根源的なところに触れるのは、日本人にはやはり日本語だろうと思うので、日本語で書くはずだと思うけれども・・・・。客観視したいなら英語かも。

 

・・・・・まあ。いろいろ考えることもあり、興味が湧いて、手に取っているわけです。

 

まだ半分も読んでないのだが、面白い。だんだん面白くなってきた。

 

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