『大衆の反逆』(岩波文庫)

久しぶりに手に取っている。・・・これは2年前に購入し、直ぐに読み始めた。でも、三分の二ほど進んだところで、止めた本である。

盗人猛々しい。いい加減にせんか!というような気持であった。

 

だが、それほど腹が立ったのに破棄せず手元に置いておいたのは、これだけ有名な、読みやすい本を、途中で投げ出してしまうのは面白くない、いつか、冷静に読めるようになったら、つづきを読もう、という気持ちがあったからである。

 

今回、第二部 世界を支配しているのは誰か のところから読み始める。

 

 

そもそも2年前に読み始めたのは、「ポピュリズム」というのが、分かりにくいので、読んでみようかと思ったのであった。

トクヴィルの、歴史は平等へと流れている、という見方に納得していた(彼は、いやいやながら、しぶしぶ認めていたようなところがあるのだが)ので、今の、アメリカに黒人差別があるのはけしからん、とか性差別があるのはけしからん、とか言われている時代に、ポピュリズムというのは、一体何なのか、という思いがあった。

大衆が政治参加するのが何が問題なのか、と。

そういう思いの延長上の読書である。

 

以前、『言語と社会』(岩波新書)を読んでいて、イギリスでは言葉を聞いただけでその人の所属する階級が分かる、というような話に驚いたことがあるのだが、(この本は今は絶版かな?)

 

そういう「階級」というのに、近頃は少し敏感になってきているのかも知れない。

 

夏目漱石など、若い時は面白く読んでいたのだが、近頃は、あれは特権階級の、鼻もちならないところが目に付くよなあ、とも思うのである。

当時はそういう人が読者だったので、ボクなどは想定外なのだろうなあ、と。

 

つい最近のニュース、恋愛体験のない20代が40%とかでも、ボクは驚かなかった。何も驚くことはない。生きてゆくのに精いっぱいなら、その余裕はない、と思うのである。ややこしいことで時間を使いたくはないので、近づかない。それが40%は普通だろう、と思う。

 

・・・・・・・

 

例によって、何が言いたかったのか、分からなくなってきた。何に腹が立ったのかを書いているうちに脱線してしまった。反省。

 

つづきを書く気が失せてしまった。今日はここまで。