何もない。存在も忘れている。これこそ、貴いなあ
この言葉で思い出すのは、3歳ごろのことであろうか。
何もかにもが珍しくて、愉しくてしょうがない。
今。心臓がいつも意識の中にある。なくなりつつあるのだが、その歯の存在を忘れることは不可能である。
あれもこれも、意識される。忘れることはかなり難しい。
・・・・。子どもから大人になり、五感が覚醒し、喜怒哀楽に支配された。そのころは、どちらかと言うと、喜楽に思いを寄せていた。
今は、もう、喜楽には手が届かないが、届いたとしても、無事に憧れる。
存在を忘れていられるというのが
一番の幸いではないだろうか。
・・・・・・・
今朝はお粥に卵豆腐。昼は、すこし調子がいいので蕎麦を茹でて見たのだが、食べられなくて、半分以上を捨ててしまった。夕ご飯は菓子パン少しとプッチンプリン。
ちょっとカロリー不足気味のようだ。力が入らない。
本当は食べたくない(食欲がないわけではない。口を動かしたくないのである。)のだが、感染を防ぐ薬を3日ほど毎食後に飲まなくてはならないので、少しだけでも食べるようにしている。