『吾輩は猫である』

先ごろ『漱石』とか『出生の秘密』を読んだ序でに、読み始めた。

『猫』を手に取るのは何度目であろうか。

ともかく、この5,6年は手に取っていなかったのではないだろうか。

 

ゆっくりユックリ進んでいる。今第五節が終わりかけているところだ。泥棒に入られ、多々良三平君が現れ、実業家を茶化す話が続いている・・・・。

 

昨日、岸田総理の苦しい答弁を聞いていて(ほんの数分で聞くのを止めてしまったのだが)

・・・このネット時代では、理屈が大きな力を発揮し、ある意味ますます窮屈な時代になってゆくだろうなあ(金まみれ利権まみれと同時進行で)、と感じた。

・・・岸田さんはこのまま逃げ切れるのか。

・・・火はもっと燃え広がってゆくのだろうか。

(今回は、そうそう簡単に火は消せないような気がする。もし今回消せたとしても、次はもっと難しくなるだろう・・・)

・・・ただ、その先には何が待っているのだろうか。

 

猫が書かれたのは日露戦争の最中らしいから、似たような不安の中であったろうか。

 

・・・・・

 

今日は9月9日。厄払いの日か

明日は9月10日。十五夜である。

夏が去り、秋も酣と言ったところである。

少し車を走らせたいという気持ちになっている。

ところが、この辺の事はほとんど知らない。

昔は住んでいたのだが、新しい道路が沢山出来て街並みも変わってしまい、

全く別の世界である。知人は皆無。・・・

浦島太郎状態である。

それで、カーナビを久しぶりに使うことにした。

 

一時カーナビの便利さに慣れて

(使い始めたのは阪神淡路大震災の炊き出しの時だった)

カーナビなしでは何処に行くにも不安を感じるようになり

思い切って使うのを止めたのであった。

 

ところが今はカーナビなしには帰ってこれなくなる不安が大きい。

だから自宅を登録しておいて、間違いなく帰ってこれるという安心感がほしい。迷子札のようなものであろうか。

何かなあ。迷子になる不安を持つとは。

 

中古のカーナビを5千円ほどで手に入れた。地図は新しいようである。

これを機会に、『録画中』のステッカーと『高齢者マーク」も購入した。

とにかく、鳥取から見るとここは車が多い。道も狭い。用心要心。

 

因みに、ドライブレコーダーの月間レポート

私の評価は、5月から8月まで77点、80点、75点、77点。

まあまあかな。ただ詳細の項目で、ケータイを使ったことがないのに、感知されていたり、前の車とかなり離れていて、衝突の危険などないのに、危険の警告があったりと、信用はいまいち。ただ、見落としがないようなので安心はできるかも。