めも

バリャドリードの大論争」は結局結論は出なかったようである。というより、文書があまり残っていないようだ。

キリシタン時代の研究』を以前読んだことがあるが、あれによると、文書はかなりよく保存さてている。ただ読み手があまり居ないので、探し出すのがかなり難しいということだったと記憶するので、これもそういうことなのかもしれない。お寺というところには、文書はよく保存してある。教会も同じはずだ。見つけ出すことが難しいのだろう。何しろ手書きの文書や手紙だろうから言語も多様で悪筆も少なくないだろう。

 

現実的には、現地で、植民地支配がどんどん進んで、ラス・カサスの敗北のような形になっていったようだが、ヨーロッパにおいては、スペインの後から海洋進出しようとしていた国々が、ラス・カサスの味方をして、カトリック批判・スペインポルトガルの独占批判をしていく、という方向に進んだような・・・。

 

特に、トルデシーリャス条約は、これと一緒に、この時代から問題にされ始めたようだ。

 

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この時代(1550年代)にも、冷静にモノを見る人は居たようで

 

インディオが屈服させられるのは正義にかなっているとする論者の説を、「これら論者が主張するものはごまかしようのない圧政にほかならず、友情と賢明な忠告の仮面に隠れて、一人種の圧迫と確実なその絶滅を目指すものである。何となれば彼らは、圧政、都市の略奪、暴行を一段と勝手気ままに行わんがため、この圧政に虚構の名称を付して正当化せんとし、これをその被害者への恩恵と強弁する。だがかってこれほど真理から遠く、これほど侮蔑と嘲弄にふさわしいものを見聞きした者があろうか。】p125

 

こういう上から目線の強弁というものは、今も無くなっていないように思うが、徐々に許されなくなってきているのは幸いである。

 

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『丸かじり ドン・キホーテ

ドン・キホーテ」前編は全部読んで、後編の途中で挫折したと記憶しているのだが、今回この抄訳を読んでいて、前編の部分も随分忘れてしまっていることに、改めて驚いた。

・・・テレビのドラマなどは、随分忘れていることにはしばらく前から気づいていたが、あれは、まあ、読書の十分の一にも満たない時間を使うだけなので、忘れても当たり前と思うところがあるが、読書はかなり時間を使っているので、もうすこし記憶に深く刻まれているものと思い込んでいたのだ。

が、これも、そうとう、忘れてしまっている・・・のだなあ。

 

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この『アリストテレスアメリカインディアン』という書物のことは、岩井半次郎氏から聞いたことがある、ことを思い出した。しかし、その時は、読もうというような気持ちにはならなかった(そのころはキリシタンのことで一杯だった)ので、忘れてしまっていた。今、そのころのことをフッと思い出した。

 

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