『神の手』望月諒子作(集英社文庫)

『日本人とは何か』中断。

理由は、寝転がって読むには少し重い。また、ほぼ中頃に達したのだが、本を開いても、右のページから左のページにかけての数行はとても見にくい。両手で持てばいいのだろうが・・・

厚すぎるのだ。

 

それで、『史記』を読み継いでいる。列伝ではなく、加地伸行さんの『史記 司馬遷の世界』(講談社現代新書

この本は、今まで2回読んでいる。1979年5月と、2018年9月。今回は3度目である。今回はこの前読んでからあまり時間も経過していないので、たぶん斜め読みのようなことになりそうである。

同時に「中国古典選 史記 全5冊』(朝日文庫)も、眺めている。この本は、むかしむかし、漢文を中心に読みたいと考えていた頃手に入れたもので、読み終えた日付は書いていない。つまり最初から最後まで通して読んだことはない。

 

加地さんの本の”はじめに”に史記中の「悲」という言葉について書かれてあるのだが、これが‹加地さんの司馬遷› のキーワードなのだろう。

 

「悲」というのは、仏教でもキーワードで、たぶん「悲」のないところに「慈」もあり得ない。つまり、そもそも宗教も 始まらない。

 

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同時に、『神の手』なる文庫本を読み始めた。題名に引かれたのである。

この作者は全く知らない。

 

楳図かずおさんの『神の右手悪魔の左手』だったか『悪魔の右手神の左手』だったか、あの漫画を思い出したのです。ボクは最後までは見ていないのですが・・・。かなり強烈な話で、部分的に印象に残っている。

楳図さんの漫画では、ぼくは『まことちゃん』の印象がいちばん強烈ですが。

 

おそらく、右手で殴って左手で頭を撫でたのではなかったか。・・・そうして、試す。

 

この、望月さんの本を読んでいて、三浦雅士さんを思い出しました。

ぼくは近頃文学書は三浦さんしか読んでいなかったせいで、そういうことになったのでしょうが、

・・・つまり。めんどくせぇが、本を閉じることは難しい・・・

 

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一陽来復。今日から少しづつ、陽ざしが強くなってくる。それが感じられるのが

正月ごろなのかもしれない。

宝くじを買いたいと思いながら、この寒空で列に並ぶのは命を縮めることになりそうで、ついに出かけなかった。

・・・抽選までは、なんとなく当たるような気がするから、得難い気持ちの高揚が味わえる・・・のだが。

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