渡辺京二さんがなくなりました。 合掌
ぼくはずいぶん昔に『逝きし世の面影』(もう手元にはありませんが)という、そうとう厚い、平凡社ライブラリーだったかな、本を途中まで、読んだ記憶があります。途中までというのは、そこで息切れがしてしまい、他に関心が移ってしまった
あとはこの、『私のロシア文学』(ほとんど読んでいない、積読です)しか知らないのですが・・・
この帯封に書かれている言葉は、「ロシア文学と私」という短文のほとんど最後、p267
にある言葉ですが、思うに、わたしなども
この言葉に同感する 大抵は同じなのではないか。
『神の手』が面白かったのも、作者が透けて見えるような気がしたからだし、その作者の熱が感じられるような気がしたから・・・作品の完成度などはほとんど気にしていない
この本は、熊本の地元で、カルチャー教室のようなところで、語った内容が元になっているようだ。ぼくは、てっきりドストエフスキーが入っているものと思い、手に取ったのだが、入っていない・・・それで、積読になってしまっていた。
今更「逝きし世の面影」をもう一度手に入れて読もうとは思わない。
おそらくそんなに時間がないだろうから。
しかし、手元にあるこの本は、読めるだろう。と思う。
追記;第4講まで読んだ。第一講 プーシキン が特に面白かった。