冬の夜なが

どこからどう書き始めればいいのか、迷うのだが

どうせ身辺雑記なのだから、思いつくままに。

 

もう20年ぐらい前になるか、檀家がお寺に立ち寄った時など、夜が長くてねえ、という話を聞くことが多かった。

2時ごろには目が覚めてしまって、それからはラジオを聴いていることが多く

4時ごろの宗教の話もよく聞いた、と。

まあ。その頃は、宗教の話のほうが、雑談の本筋(?)だと勝手に思っていたのだが

近頃は、その前の。夜が長いというほうが、本筋だったかな、と思う。

 

ボクは長い間、4時か4時半には起きる生活だったので、そのまま起きてしまったらいいのでは?!と口には出さないが、思っていた。

しかし、心臓を悪くして、どうやら寒さが体に良くないようだと思うようになってから

見方が少し変わってきた。

 

今朝はたまたま4時前に起きだしているが、ふつうは5時近くまで寝ている。そうすると、だいたい2時前には目が覚めるので、まるまる3時間ぐらい、寝床の中でじっとしていることになる。それほど寒くないときには、本を読むのだが、最近のように寒いと、外に出している手が冷えるので、読書もせずに、ただじっとしている。

昔はそういう時には、呼吸に意識を集中していたのだが、近頃は何もしないで、まあ、じっとしている。すると、いろんなことが意識に浮かんで、走馬灯のごとく、通り過ぎてゆく。

思わず、恥ずかしいなあ、とか 悔しいなあ とか、声が漏れることもある。

まあ。すでに遠く(?)過ぎ去ったことなので、どうにもならないことなので、思いを手放すために、やり直すことはできないのだ と声に出したりするのだが・・・。

 

こういうことが続くのを嫌って、ラジオを聴くのかもしれないなあ

思い出すのは悔いの残るようなことが多いから・・・

 

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もう少し、寝る時刻を遅くすればいいのではないか、と思わないでもないのだが

そうすると、ストーブを長い間点けておくことになり、光熱費が勿体ない。それで、まあ、仕事が終われば早く床についてしまったのだろう。

ボクの場合は、光熱費のこともあるが、それ以上に、眠くなってしまうのである。

年を取ると、自然のリズムに近づくということなのかもしれない。

 

この眠くなり始めた時、強いて起きていると、10時ぐらいまでは目覚めていることができる。

しかし、無理しても命を縮めるだけではないか、と、思うようになっている。

人はいろいろだろうが、ボクの場合は、心臓から受けたダメージ(メッセージ)は、無理はだめだよ、ということである。

 

・・・・・・・

 

書きたかったことはまだまだ沢山ある。しかし、今回はこのぐらいにしようか。

 

鳥取では、今回40センチ近い雪が積もった。お寺にいれば、雪かきをしないわけにはゆかない。無理をしないといっても、ね。

近所にはもっとお年寄りや、もっと頻繁に救急車で出ることになるようなお婆さんも居たのである。どうしていることか

(晴れてから、共同で雪かきをしているのだろうなあ)

 

若い時は、無理するのが大好きというか、生きがいのように思っていたのだが・・・

 

・・・諸行無常というのか、栄枯盛衰は世のならいというのか・・・

言っても仕方のない事ではあるが

昨日できたことが今日はできないというのは、受け入れるのに痛みを伴う、ような。

 

(頭を切り替えて)今できることは何だろうか。

まあ、読書と散歩ぐらいかな・・・

・・・gyaoが3月いっぱいで終了するという。無料で映画やドラマが見れた(CMはうんざりするぐらい多いのだが、タダだからガマン我慢)のだが、残念。

それで、もう見られないかもしれないので、『主任警部モース』を見返すことにした。決して好きというわけではないが、イギリスの嫌味な雰囲気がよく出ているようなので。

モースはかなり年配だが、独身である。女好きなのだが、女運に恵まれない・・・

第一話でも、失恋する・・・一緒に居たいと思うような女だった、と。

確かに、女に惚れるというのは、一緒に居たいと思う、と言い換えてもいいかもしれない。と。この言葉には納得した。・・・逆もそうなのだろうかな?