2月1日

『両大戦間の世界』読み終わりました。

随分時間が掛かってしまいました。

 

自分の過去を振り返り、「別の道はあったか」と問うとき、

「なかった」と思う。どれほど、恥ずかしい、悔しい過去でも

当時の自分には、何一つ修正することは出来なかったと思う。

ただ、失敗は後の行動の参考にはなっている。

・・・それでも。ボクの場合には、似たような失敗を繰り返しているなあ

と感じるところもある。性格・気質・弱さと言っていいかもしれない。

 

今のウクライナ・ロシアの戦争状態を見ていて、

人間の業のようなものを感じる。窮鼠猫を噛むこともあるのだから、追い詰めてはいけないと思うのだが・・・徹底的に叩き潰して、二度と立ち上がれないようにしたい、

と思うのだろうか、と。

 

Natoソ連邦の脅威への防衛のためだったら、ソ連邦が崩壊した時に、消滅は無理でも縮小しても良いように思う(すこし緩んだときもあった)のだが・・・ソ連の衛星国だった国も大半を取り込んで拡大した。

それは、何分の一にも縮小した国力のロシアにしてみれば、オソロシイことであろう。天然ガスを利用して、生命線を扼す戦略も分からないではない。

 

現状を変更しない。これはなかなか難しいことのようである。

 

『赤の女王』説というのがある。随分前に読んだのでほとんど忘れてしまったが、

「今のところに止まりたかったら、全力で走れ」というのであった。

現状維持というのは、双方の力技、がっぷり四つに組んで、動きの止まった状態で

ちょっとでも均衡が崩れれば、どちらかに動くということかもしれない。

 

今。3月ごろに戦車が数百台投入されるという。そのとき、バランスを回復するために対抗する手段は何なのだろうか。

 

ボクは大昔、戦車(61式)に乗っていたことがある。乗ってみて、適性がないことを痛感して辞めたのだが・・・

力の均衡のなかの、消耗する部分となる(なった・なっている)人々の事を思う。