『両大戦間の世界』読み終わりました。
随分時間が掛かってしまいました。
自分の過去を振り返り、「別の道はあったか」と問うとき、
「なかった」と思う。どれほど、恥ずかしい、悔しい過去でも
当時の自分には、何一つ修正することは出来なかったと思う。
ただ、失敗は後の行動の参考にはなっている。
・・・それでも。ボクの場合には、似たような失敗を繰り返しているなあ
と感じるところもある。性格・気質・弱さと言っていいかもしれない。
今のウクライナ・ロシアの戦争状態を見ていて、
人間の業のようなものを感じる。窮鼠猫を噛むこともあるのだから、追い詰めてはいけないと思うのだが・・・徹底的に叩き潰して、二度と立ち上がれないようにしたい、
と思うのだろうか、と。
Natoがソ連邦の脅威への防衛のためだったら、ソ連邦が崩壊した時に、消滅は無理でも縮小しても良いように思う(すこし緩んだときもあった)のだが・・・ソ連の衛星国だった国も大半を取り込んで拡大した。
それは、何分の一にも縮小した国力のロシアにしてみれば、オソロシイことであろう。天然ガスを利用して、生命線を扼す戦略も分からないではない。
現状を変更しない。これはなかなか難しいことのようである。
『赤の女王』説というのがある。随分前に読んだのでほとんど忘れてしまったが、
「今のところに止まりたかったら、全力で走れ」というのであった。
現状維持というのは、双方の力技、がっぷり四つに組んで、動きの止まった状態で
ちょっとでも均衡が崩れれば、どちらかに動くということかもしれない。
今。3月ごろに戦車が数百台投入されるという。そのとき、バランスを回復するために対抗する手段は何なのだろうか。
ボクは大昔、戦車(61式)に乗っていたことがある。乗ってみて、適性がないことを痛感して辞めたのだが・・・
力の均衡のなかの、消耗する部分となる(なった・なっている)人々の事を思う。