『世界の「宗教と戦争」講座』
第一章 和の世界
第二章 ユダヤ教の世界
第三章 キリスト教の世界
第四章 イスラム教の世界
第五章 仏教の世界
第六章 神道の世界
第七章 儒教の世界・・・いまここを読み終えたところ
補講 応用問題としての社会現象
目からウロコ!というのか、知らなかったなあ というか。
いろいろ勉強になりました。
とくに儒教の世界のところで、儒教についていろいろ教えてもらいました
加地さんの『儒教』とか、儒教関連の書物はいくつか読んでいたのでしたが
”知らなかった!” ・・・そうだったんだ。オレは頭悪いなあ
読んだ知識からいろいろ推理したり、疑問を詰めていったり、そういうことが
どうも全く弱い。なぜ?と思わないではなかったのだが・・・
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追記
【・・・宗教というのはなにがいいのかというと、その中で自由な社会ができるということなのです。たとえば抑圧されていてものも自由に言えないという状況でも、・・・みんな自由な同志でいられるのです。すると、お互いに言いたいことが言える。これが非常に大きいのです。
言いたいことが言えるというのは、為政者から見ると反乱の第一歩です。批判の自由ということを認めると・・・云々】p386
【人間の最大のアイデンティティというのは、言語と宗教だと私は思います。云々】p388
一応最後まで読みました。現代の戦争を、俯瞰して眺めるには、参考になるように思います。そういうことを意図して書かれていると思うし。
しかし、そこを外して、一般教養書として読んでも、いいね。お勧めです。
随所に、著者の、目を見張るような視点(考察)を感じます。
人間のアイデンティティは、言語と宗教、というところを引いたのは、ドーキンスの原理主義的な(私はそう感じる)ところに違和感を感じるからかもしれません。沢山の言語があり宗教があることを、私はいいことだとは思っているわけではないのですが、とても人間らしいことだとは思っている。
標準語を使わせたいと思っていても、すぐに、さまざまなサークルだけの言葉が発生する・・・それは仲間を作ることであり、同時に、他を区別することでもありましょう。
・・・やめさせることが出来るものですか
重層する構造を認めて、使いこなすということになるのでしょう。出来れば、重い塊になっているところを、ほぐしてゆく方向で。
しかし、ほぐすことが大事な時もあれば、塊を作ることが大事な時もあるような・・・