『昭和史と私』林健太郎

読み終わりました。

 

総じて面白く読ませてもらったのですが、とくに印象に残ったのは次の所でした。

第十二章 共産党シンパから社会党シンパに

【私が共産主義を信奉し、その理論を絶対的真理と考えたのは、私の生涯の中では、若い時の一時期にすぎない。それでもそれは、1930年に始まって1945年の日本の敗戦にまで及び、しかもそれで簡単に終わったわけではない。ひとたび捉えられたイデオロギーから脱却するというのはなかなか難しいものである。それはそのイデオロギーの唱える理論が客観的事実と合致しなくなることによって生ずるのであるが、その過程がまた決して簡単でない。というのはかつて信じた真理の誤りを認めるのは辛いことであって、そこで初めはなるべくそれを認めまいとする。都合の悪い事実は「デマ」であると言って否定する。そして否定しえない事実が存在しても、それは本質的ならぬ現象だとしたり、あるいは務めてそれに触れず顧みて他を言ったりして、その意義を務めて小さなものにしようとする。しかしそれも次第に通用しなくなってそのイデオロギーは破れるのであるが、それには時間が掛かり、その途次それはいろいろな形をとるのである。

云々】p175

 

ボクたち団塊の世代は、ある意味イデオロギー教育を受けたので、誰もが、それを外すのには、かなりな時間とエネルギーを使った。・・・自分が知的に掴んだのではなく、物心がつく前から刷り込まれたものだから、あるいは、何の葛藤もなく、それを信じて生きてきた人も少なくないのかも知れないが・・・

外そうとするとかなり厄介なものである・・・

 

そんなことを思い出しました。

 

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昨日墓参りに行ってきた。半分ぐらいの墓には色とりどりのお花がお供えしてあった。

お寺の境内のサクラは、五分咲きの木もあったが、多くはこれからのように見受けられた。

暖かい日であった。