この本は1980年出版、日本で翻訳出版されたのは1996年。
中華人民共和国の国連加盟、中華民国の脱退が1971年。米中関係の改善の象徴のようにアメリカにパンダが送られたのもそのころであろうか。
翌72年、日中国交正常化、日本にパンダが送られてきたのも、この頃であった。
・・・キッシンジャーさんの活躍とか、田中角栄氏のこととか、パンダの事とか、当時随分話題になっていたのを覚えています。このときから、台湾は中国の代表ではなくなったのですね・・・
グールドは74年ごろから雑誌にエッセイを書き始めたらしいので、この『パンダの親指』はまだパンダが珍しかったころに書かれたのであろうか。
この間のニュースでは、米中関係の悪化を反映するかのように、アメリカのパンダが新鮮な竹を与えてもらえないで衰弱しつつあるという、薄汚れたようなパンダの写真が流れた・・・。老齢(毛にツヤがなくなるだろうから)と言うだけのことをそういう記事にしたフェイクかもしれない。なにしろフェイクばやりだから・・・
日本では直ぐに、名前が募集されたりして、パンダには名前がついたのだが・・・アメリカではそういうことはなかったのか、このグールドの記事に登場するパンダには名前はないようだ。
夏目漱石の猫にも名前はなかったと記憶するから、名前を付けるというのは、必ずしも一般的とは言えないのかも知れない。・・・日本のサルの研究者は、サルに名前を付けると言って珍しがられているという話題も、ずいぶん前だが・・・たしか幸島の日本猿が、貰ったサツマイモを浅瀬で、海水で洗ってから食べる、という事が話題になったことがあったが,其のころ(60年代か)、新聞記事で読んだような記憶がある。
最初に芋を洗った女の子にも名前が付いていたと記憶している。
この間の、アメリカの衰弱したパンダの記事では、名前だったかニックネームだったかが付いているような様子ではあった。
この『パンダの親指』は、『ダーウィン以来』の次に出版された本らしい。
何れも、雑誌に連載したエッセイを本にしたものなので、テーマはともかく、
話題は豊富である。
読んでいて思うのは、この頃になると、もう私のような素人は話題についてゆくのがかなり難しい。1970年代からどっちを向いても急な坂道になってきたような気がする。
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満開の桜を見に行こうと思いながら、天気の合間を縫うのが難しく
桜吹雪を見ることになりそうである。