ダーウィニズム

久しぶりに『2001年宇宙の旅』という言葉を目にした。

(『ダーウィン以来』30章 人間性の非科学性;ここではS.キューブリック監督の映画のことが話されている)

 

そして『パンダの親指』第二部4章 自然淘汰と人間の脳--ダーウィン対ウォーレスを読んで、思ったことがある。

 

人間の脳も、自然淘汰のなかで理解する。このことで、ダーウィンとウォーレスの考え方の違いが、妥協できないほど、明らかになる。

ウォーレスは、人間の脳には、高次の力が働いたに違いない、と考えていたようだ。

高次の力とは、まあ、神である。

ダーウィンは徹底した唯物論者だから、それは受け入れがたい。

 

この第四章には、かなり詳しく、この辺りの事情が書かれていて、ウォーレスの考えがなかなか面白いのだが、今はそれは本に譲って、

 

この、《高次の力が働いた》というのは、まさに、『2001年』のモノリスだなあ、と。

 

A.C.クラークはSF作家ですが、高名な科学者でもある。それが、どうしても、高次な何かの影響、に拘り、サルと一線を画そうとする。

キューブリックは、暴力が進化の原動力と見ているのかも)

ボクはこれをキリスト教の刷り込みと見るのだが・・・

 

ダーウィンは宗教者になろうとしたくらいだからキリスト教の事はかなり詳しい。それが、ビーグル号の中での5年にわたる、船長との対話の中で、おそらくは決定的な”転向”をした。唯物論者になった。そこから『種の起原』が始まる。

 

ウォーレスが、なぜ人間の脳は特別だと考えたかは、なかなか面白い。このことで、彼がどういう人だったのかが何となく分かり、好感が持てる。

が、それとこれとは別である。

 

しかし、歴史は、ダーウィンの方ではなく、ウォーレスの方に、動いたようだ。

それだけキリスト教の影響は徹底しているということであろう。

 

ダーウィニズム

ダーウィンの名はついているが、ダーウィンの考えとは相当ズレている・・・

 

曇り空でしたが