『平家物語』 4

今、頼朝が伊豆で兵をあげたところを読んでいます。岩波文庫第二冊のちょうど真ん中あたりです。

遅々として進まないのですが、清盛の福原遷都辺りの様子がよく分からないので、立ち止まってしまいました。

 

なぜ、急に都を移そうなどと考えたのか。そのまえに、なぜ三歳にも満たない安徳天皇を急いで即位させたのか

 

岩波文庫本では、各巻の最初に2ページほどの粗筋が書かれてある。それによると、山門(比叡山に縁のある勢力であろう)に対する警戒心がとても強いようであるが

 

本文からは、あきらかに、焦りが見えるような。

 

自分の先が短いことを悟っていたのか、子どもたちの頼りないことを知っていたのか。

バイデン大統領が、次も出馬を表明したらしいが、あの年で何故、と思う。

トランプ時代にオバマさんの改革が全て撤回されてしまったのを見て、自分が続投するしかないと思ったのでしょうか。

清盛の焦りも同じようなことなのでしょうか。自分(平家一族)がやらなければ、貴族政治に逆戻りだと。

 

清盛は悪人とは思えない。三国志曹操もそうである。しかし、後の世では、悪人とレッテルを張られる。帝位簒奪を考えたからである。・・・

ある立場までは、引き返すことが可能だが、ある立場を越えると、引き返すことが出来なくなる・・・引退して隠居するなど不可能になるのかも知れない。

 

清盛は何処でそういう線を越えたのだろうか。おそらくは、その線を越えたことに気づいた時にはもう引き返せない。そういう事なのだろう。

・・・50歳で出家したころが、潮時だったのかも知れない。相当のストレスで病の侵すところとなったのだろうから。

そういえば、曹操も病に苦しんだ時期があったな、あれはどういう時期だったか・・・忘れてしまった。帝位簒奪やむなしと考え始めた時期ではなかったか。荀彧にきつく諫められた。

・・・荀彧は殺される(形は自殺)のだが、重盛は病気で死ぬ。

 

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