『明治大正見聞史』

明治初年には維新に批判的であった国民は、戦争のたびに、愛国者になっていったようである。ただ、田舎の人たちは、重税に苦しみ、何の恩恵も感じられなかったようである。だから恩恵に浴した大都会の感想が中心であろう。

そういう大きな時代の流れのこともあるが、わたしが面白いと感じるのはもっと細かいことに対する感想などである。

 

例えば;つい最近まで、もしくは今日もなお、マアガリンをバタと偽られ、豆の黒焼きをコーヒーと思って飲ませられている人々は、おそらく西洋の文化に敬意を払いえないであろう。p60

私闘においては度胸がなく、初心ではにかみやで涙もろかった。一つにはまだ活動写真というようなものもなく、不良を働く実物教授がなかったためでもある。p75

一般学生は、酒飲む機会や女に近づく機会はほとんどなかった。会をするといっても五銭の会費で木村屋のパンの一袋をあてがわれて満足していた。・・・それらを食べながら一夜を楽しく語り明かすことが出来た。p80

私は東京へ来たとき、東京に寺のあまりに多いのとカラスの多いのとに一驚を喫した。・・・それだのにいつの頃からか、カラスはほとんど東京に見られなくなってしまった。p106

三十四年二月に三田の聖人と呼ばれた福沢諭吉翁が死んだ。p121

 

ほんの一部を抜き出したのだが、不良に度胸がなかった、というのは面白い。実物教育。映画やドラマは(悪)影響を持っているというのは、歴史が証明しているかもしれないね。

また、福沢さんが「三田の聖人」と呼ばれていたとは知りませんでした。

 

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