いろいろ

読み返して、つまらんことを書いているなあ、と思う。

消そうか、とも思う。・・・添削しようかとも。

 

今年は早い。もう3月である。何をしていたのやら。

 

山火事。今の時期の山火事は消すのは至難であろう。小さな火でも消すのは難しい・・・あっと言う間に燃え移り、広がる。日差しが強く、火の走る様子は見にくい。

燃え移ってからは、人が何人いても消せない。経験からそう思う。

まとまった雨が降ってくれるといいのだが。

人海戦術で、境界線に決めたところの木を切り倒し溝を掘っていくしかないのだろうか・・・地元の消防団員は必死だろう。

そうでなければ住宅地が境界になるまで広がるか・・・

それとも、現代的な方法があるのだろうか。

私は、40年近く前の神戸の山火事しか知らないのだが・・・。あれは季節は、やはり春先だったのだろうか。

 

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『歴史を動かす力』のなかの「織田信長勝海舟田中角栄」を読んでいる。

江藤淳との対話である。まだ途中である。

何歳ぐらいの時のものか知らないが、面白い。歯切れがいい。

 

いろいろよそ見をするのが好きで、『幸田露伴集』(ちくま文庫)を読み始めた。

再読である。

たしか、もう二度と戻ってこないつもりでペルーに渡った時、現地で幸田露伴五重塔」を声を出して読んだ記憶がある。こちらから持って行った本なのか、現地の図書館から借りた本なのかは忘れてしまったが、あの頃(7年前)幸田露伴とか幸田文とかをずいぶん読んでいた記憶がある。

ある意味で懐かしい本である。《文豪怪談傑作選》のなかの一冊。

しばらくは、図書館から借りるのは止めて、手持ちの本を読もうと思っている。こうして眺めていると、結構あるのだ。

というのも、出来るだけ車の運転を控えようと思っているので。

体調が安定してきたら、少しづつ乗るつもりではいるのだが、今はあまり乗りたくないのである。

 

 

愚痴のような

・・・ヒトはグチは聞きたくない。ボクも同じだ。

しかし、書いたものは、少しばかり距離が取れるので、許されるか?

 

60になった頃に、昔書いたものを読んで、もうあんなものは書けないな、と少し寂しくなった。・・・今は、そういうモノとは少し違うものを書いている。若いことを羨ましいと思っても詮無い事である。過ぎてしまったのである。

 

いま書いているのはまあ、どうでもいいものである。はかなく消えてしまう印象のようなものに近いかもしれない。

 

一日塩分6グラム。この前食事指導を受けた時言われた目標である。これはかなりキツイ。

多分お米一食分の中にも0.5か1グラムぐらい入っているのではないだろうか。・・・

食パン一枚に1.1gとろけるチーズ一枚に0.3gコーンスープに1.2g。ということは、朝これだけ食べるとすでに2.6g。一日の半分を摂取したことになってしまう。スープは半分捨てなければならない・・・あるいは、最初から半分量で作る。

 

・・・たぶん味噌汁はダメ。具を食べて汁は捨てる。どんな野菜でも、0.1gぐらいは含まれているだろう。あるいは、週に3回ぐらいとか。

 

この前病院に入院した時の食事は、考えて見れば、かなり上手であったなあ。結構美味しく頂いた。あれがたぶん6グラムということなのだろう。

 

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食事の指導を受けてから10日ぐらい経つのだろうか・・・ずいぶん落ち着いてきているのだが、心臓がチクチク痛んだり、胸にこみ上げてくるのを感じたりすると、やはり少なからず気になる。・・・おいおい、おとなしくしていてくれ

 

・・・・コーヒーは、少し薄めを一杯か、ときに半分。で止めるようになった。

しかし、コーヒーを飲まないともう一つ元気が出ない。どれだけカフェイン中毒なのかと思う。

 

お風呂は、すぐに湯船に体を沈めるようなことは無くなった。腰まで浸かって、手で上体にお湯を掛けて・・・体の様子を感じながら、おもむろに・・・。

 

 

臆病と言えば臆病である。・・・あの心臓の悲鳴のようなものを感じるのは、できれば、避けたい。・・・電気ショックで飼いならされて行くような感じだ

 

「昨日の貧はいまだ貧ならず」という言葉を思い出す。たぶん今日の貧もまた貧ではなかったなあ、という日が来るのだろうが・・・

 

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『歴史を動かす力』司馬遼太郎対話選集3

「日本歴史を点検する」海音寺潮五郎さんとの対話である。かれらは師弟関係と言っていいのだろうか・・・考え方は少し違うように思うが、お互いを認め合っていていい感じで話をしている。確か、司馬遼太郎は、敗戦後、何時から日本人はこんなバカになったのか、と感じたところから考え始めたというようなことを何かで読んだ記憶があるが・・・

 

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今日も散歩をするつもりである。どうも足腰がめっきり弱ってきているような気がする。これはマズいのではないかな

幸い天気はいいようだし・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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ここ数日、身体の存在を忘れていることが出来、読書に乗ってきていたのだが、昨日から目が痛くなり、今朝は無いものが見えるようになってしまった。

朝のお勤めの最中に消えたが・・・左下から目の前まで、三角形の連続のようなものが弧を描いて・・・

今日はあまり目を使わないようにしよう、と考えている。

 

・・・まあ、ほんとうに無理は利かないね。というより、無理していると思っていないことが、無理になってきているのかも・・・

 

頭の方も・・・理解力がずいぶん落ちてきている。また、以前読んだところも思い出すのが難しいし・・・ちょっとめげるね

 

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今日は急に冷え込んできているようだ、朝はまだ暖かいような気がしていたのだが。

散歩の時、北風が吹きつけてきて、手が冷たい・・・昨日よりも20度近く下がってきているのではないだろうか。

陽は差していないのだが、カモの群れが岸に上がり日向ぼっこをしていた。彼らを刺激しないように離れたところを歩くようにしているのだが、見張り役らしいのが声をあげて、みな動き始める。しょうがないなあ

 

 

 

『円仁 唐代中国への旅』

このまえ、司馬さんとライシャワー博士の対談を読んだ。なかなか面白かったので、

博士が17年かけたという研究を読んでみたくなった。

円仁の『入唐求法巡礼行記』はずいぶん前に読んだことがある。もうほとんど覚えていないのだが・・・読んだ動機は、「廃仏」の実際の様子が知りたいということであった。

今回は、博士の著作を読んでみよう、ということである。

 

注文した本が先ほど届いた。古本なのだが、読んだ跡がない。うれしいね。

 

河出書房新社の『黄土を拓いた人びと』を読んでいる。1991年に一度読んだ本だが、

ほとんど忘れているので、初めて読んでいるようなものである。中国明の時代の様子を中心に書いているのだが、これも面白い。(『水滸伝』は好きだったからね)

同時進行である(いま何冊読み進めているのかな???)

 

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数日前から、血圧を測り始めた。・・・血圧計の中の電池が切れていたから、数年は計っていないことになる。朝起きぬけに3回。

今朝は、高い方が124,108,109。低い方が61,60,57。ちょっと低すぎるのではないか、と思うほどである。飲んでいる薬のお蔭であろうか・・・効果が出るのはもう少し後かと思っていたのだが・・・。

それとも、食事療法か。とにかく塩分は控えている。ついでに油も。これで体がもつかどうか・・・反動が出るかもしれない。

 

 

 

「日本人物史談」

『この国のはじまりについて』のなかの、ライシャワーさんとの部分。

話の中で、ライシャワーさんは実によく笑う。

この対話の中に「朝鮮」のことが出てくるのだが、なるほどなあ、と。

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「なぜ秀吉は朝鮮侵略をやる気になったのか」p223

「・・・準備をほとんどしていないことを考えても、彼は単に論理の帰結として朝鮮があったのではないか。そういう一種の自己肥大といいますか・・・・」p226

(スペインと宣教師の共謀による日本征服の野望との関連などとはあの博覧強記の司馬さんでも露ほども考えていなかったようですね。)

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この項(対話)はなかなか面白い。

 

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今日は嘘のように暖かく、ずいぶん雪が解けました。

スーパーまで買い物に出ようとしましたが、さすがにそれは無理でした。

歩道は歩きにくくて。

途中で引き返しました。・・・明日も無理かもしれません。

 

食べるものはある。目的は散歩です。歩っているだけでは物足りないので

店の中を見て回る。見れば何かを買う。・・・ただ散歩だけしている方が

良いようにも思うのですが。

 

 

 

 

30㎝ぐらいか

気温は低かった、昨夜から今日の午前中まで、水道は水を出しっぱなしにしていた。雷もなった、が、このぐらいで済んだ(やれやれ)というところか

 

今朝風呂で出合った若い人は、雪の心配をしていた

どうも2駆 後輪駆動の車に乗っているらしい。

今日は動かすのは止めた方が良い、と言っておいたが・・・彼の出身地は茨城県

あまり雪のことは知らないようなのだ

昨夜は雪の中を帰ってきたらしいが、後輪がスリップして左右に揺れたようなことを言っていた。危ないなあ

 

私は、少なくとも今日と明日は車を動かさない。

仕事で乗らなければならない人は大変だ。ただ午後になり気温が少し上がったので

幹線道路を走っている分には心配はないだろうが・・・

 

『この国のはじまりについて』の中の「鎌倉武士と一所懸命」を読んだ。

永井路子さんとの対談。これを読んでいて、お寺の在り方を考えさせられた。

ボクはお寺と縁のないところから、坐禅がしたいということだけでお坊さんになったので、寺の事は何も知らなかった。たまたま小さなお寺だったので、かなり強引に動いたが・・・住職というのは本当は「お飾り」なのかもしれないなあ・・・

責任役員があれほどへそを曲げたのも・・・

・・・すべては終わったことだが。

・・・後を継いでいるのも、やはり坐禅がしたくてお坊さんになった人だが・・・

 

日本について考えさせられる。・・・強引な西洋の侵略者に負けなかった(奴隷にされなかった)のは、日本だけだった。

それは、鎌倉武士の頃から続いている日本人の生き方が、大きいかもしれない。

・・・お寺の在り方もそういう伝統の延長上にある。狭い場所でのことだが、何も知らないよそ者が、強引に揺さぶりをかけた・・・ということなのかもしれないなあ

 

司馬遼太郎を読んでなくて良かったのか。読んでいたらもっと良かったのか。

 

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自己中かも

これは昨日書いた記事にある言葉なのだが・・・・

改めて考えて見ると、ずいぶん自己中心だよなあ

 

30代半ばに、目覚めた時に眩暈を起こした(あるいは眩暈を起こして目覚めた)のだが、その時は自分が眩暈を起こしたとはこれっぱかしも思わず、世界がどうにかなってしまったと思い、吐き気とともに飛び起きた。勿論立っていられないわけだが・・・・

40代半ばに、不整脈を起こしたときも、吸っても吸っても空気が足りなくて目覚めたのだが、地球の空気が希薄になっている、滅びる前兆か何かに違いないと思い、大いに慌てた。

 

何方のばあいも、まもなく、これはオレの問題なのだと気づいたけれども、最初は、そうは思わなかった。

2年前、全身麻酔から醒める時も、世界が違うと思い込んでいた・・・自分の身体感覚が戻るにつれて、ICUのベッドの中だと分かったのだが・・・

 

・・・・・これはオレだけの問題なのか。そうではないのではないか。誰も(誰からも聞いたことはないが)、そうなのではないか・・・

でなかったら、阿頼耶識とか末那識とか考えられるはずがない。天動説が信じられたりしないだろうし、また・・・・

 

禅の問答に、せかいが滅びる時に如何したらいいか、という問いがある・・・

 

悟りというのも、曲者で、ヒトは自己中心だから「オレが悟って」しまう。

なかなか厄介である。間髪を入れずに、自分に取り込まれる。

その間にボーとした隙があるようでは、たぶん滅びている。

 

何を書こうとしていたのか・・・・

方向転換

 

病気のことはしばらく書くのを止めます。というのも、自覚症状がほとんど消えてしまったので。

わずかに数秒間背中が痛むときとか、息が上がる時があるが、ここ3日ほどはその程度ですから。

 

ただ、懲りましたので、食事に気を付ける(塩分の摂りすぎ)生活は続けます。

私はKさんとは違って、肝が小さいので、反省して直せるところは直す。

 

車の運転を止めていて、図書館に出かけなかったので、手元に死蔵されていた本に手を付け始めた。

その一つが、司馬遼太郎です。私は、先史時代から歴史時代へ移り個人が登場するようになったのは、鉄器の製造が大きく係わっていると思っていましたが、想像力が働かず、詳しいことは考えられなかった。司馬さんの本を読み始めたら、想像の翼が生えるようで、すぐに虜になった。

ところが、司馬さんと相性が良くないというのだろうか・・・しばらくして鬱陶しいような気がして、やがて中断してしまった。

そういう事情で、読みさしてほったらかした本が何冊かある。

それを読み始めた。久しぶりに読むと面白いし、教えられる。(ただ、それも何冊も続けて読むことはボクには無理なのだなあ)

 

今、『この国のはじまりについて』(文春文庫)を読みはじめた。

 

歯医者に通い始めて、抗生物質のおかげか、痛みがずいぶん和らいで、有難い。

もう1、2本抜いて、ブリッジを掛けたり、しばらくは医者通いをしなければならない。が

・・・・丸飲みではなく、うどんが啜れるかもしれない。今は乾麺を茹でる時に、最初に半分とか3分の1とかに折って湯に入れているのだが・・・長いまま茹でることが出来るかも。こういう小さなことが嬉しいね