カフェインレス

心臓を病んでから、塩分制限だけでなく、カフェインも絶った。それまでコーヒーをがぶ飲みしていたのだが・・・。

飲むのは白湯と麦茶という生活が8か月余り。しばらくはコーヒーが飲みたくて、飲めないのはかなり辛かった。それで・・・カフェインレスのコーヒーを飲んだときもあったが、今ではあの苦いだけのを飲みたいとも思わなくなった。(もう何か月も前に封を切った瓶に半分ほども残っている)・・・麦茶も(コーヒーほどではないがかなり苦い)飲む量は減ってきている。

飲むのは白湯や水ということが増えてきている。・・・まあ。条件反射のようなものかな。コーヒーを飲むと心臓に負担がかかる・・・あの不整脈の起こった時の感覚はあまり気持ちのいいものではない・・・。

 

・・・食事の後で眠くなり、体もだるくてどうにもならなくなった時、紅茶を淹れることがある。すると、ほんの一口か二口で、スーと頭がすっきりし、身体のゆるみが消える。

なるほどなあ。たった一口か二口飲んだだけでこれだけの効果があるんだ。

 

・・・一口か二口飲んで、所期の効果が得られたなら、残りは捨ててしまってもいいのだが、「もったいなくて」カップ一杯は飲んでしまう・・・身体の事を考えるなら、捨ててしまう方が良いのだろうが、まだそれは出来ない。

 

・・・・・・・

 

長距離ドライブ(滅多にしないが)の時には、首筋にラブを擦りこみ・・・用心のためにコーヒーを用意する。眠気が兆したら、一口飲む。大体それで目が覚める・・・

このときには、余ったコーヒーは捨てる。・・・朝から晩まで運転するようなときでも、カップ一杯のコーヒーで余る。(もう美味しくは思わないのである。あれだけ好いていたのに・・・飲むためには別に水を用意する)

 

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前の状態が尾を引いて、しばらくは辛いが、やがて慣れる。住めば都という感じかな。

そのようにして、次々と変化して・・・ここ半世紀あまり全く変わらないのは、読書好きということかな。・・・おそらくはこれも変わる時が来るのだろうなあ

 

 

 

またまた 大黒さん

どうしても分からないところがあり、知人に、昔造った大黒さんを見せてほしいと言ったら、探し出して持ってきてくれた。

もう手元には仏壇に飾っている一体と、間違って色を付けてしまった一体しか残っていないのだが、と言って。

 

見せてもらいながら、いろいろ説明を聞いているうちに分かってきたことがある、と同時に、私は間違った推定をして作業を進め、大事なところで数か所削りすぎてしまっていたことを知った。

お釈迦さまはお袈裟を着ている。毘沙門天などは鎧を着けている。要は、皆ユニフォームを着けている。大黒さまも同じである。そのユニフォームがどういう形なのか、私には分からなかった、分からないまま作業を進めた、この失敗は致命的なような気がする、ということである。

また、口伝のようなものが有る。たとえば、顔は少し小さめにする、とか鼻は、小鼻をすこし横に広げる、とか。こういうことも知らなかった・・・

これも私は間違っていた。顔は大きい方が童顔に見えるだろうと、すこし大きめにしたし、鼻も大人しい形がいいだろうと・・・。

 

ま。実際に写真で。

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この色はお孫さんのいたずらか

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お腹の辺り、また衣を引き摺っていないなど、失敗です。


まだ修正できるところは修正して・・・とにかく完成させるつもりです。袴とか。

そうそう。ボクのは紅松ですが、知人に見せてもらったのはクスノキのようです。

 

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まだ半そでですが・・・どうやら、涼しくなってきました。もう寒露ですからね、当然でしょうか。

 

 

『今昔物語集』天竺・震旦部

岩波文庫全4冊のうちの第一冊。

全10章。最初の5章は天竺(インド) 次の5章は震旦(中国)

 

今第5章の途中である。ところどころに下線が引かれたり、書き込みがあったりするので、以前(全部ではないだろうが)目を通している。多分3年ぐらい前。しかし、ほとんど覚えていない。

例えば、第2章の最後に〈子供が聞いたら夜も眠れなくなるような話が続く・・・〉と書き込んでいる。また、第3章最後、仏、涅槃に入り給わんとするときに、ラゴラに遇いたまえる語 には〈釈氏多く弟子となっていることを思えばこういう場もありか。〉と書き込んでいる。お釈迦さまが臨終に臨んで、ラゴラの手を取って「このラゴラはこれ我が子なり。十方の仏、これを哀愍したまえ」と言って亡くなった。これが最後の言葉である。と書かれてあることに対しての感想であろう。

また、第5章、国王、盗人のために夜光る玉を盗まれたる語、の最後には〈これはこれは・・・まずくはないか?〉と。・・・しかれば、悪しきことと善きこととは、差別あることなし。ただ同じことなり云々・・・とあることに対しての感想であろう。

 

【解説】によれば、今昔物語集は、1,130年から40年ごろに、興福寺の僧によって編集された。しかし、完成はせず、1450年ごろまで、世に出ることはなかったようである。

近代になってから読まれるようになったということのようである。

 

ボクは本朝世俗部のものばかり読んでいて、この天竺・震旦部は数年前に初めて目を通し、今回が第二回目である。

なかなか面白い話も少なくないので、また取り上げたいと思います。

 

 

 

 

 

 

近況

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先生に、顔と左耳、帽子のあたりを教えてもらいました

全くお手上げで、写真と自分の作品を見比べるだけで、手が動かなくなっていた。

最初ノコギリで切れ込みを入れたところが切りすぎたのかも知れない、というところが何か所かあり・・・その失敗をどうフォローすればいいのだろうか(どうにもならないのではないか)、そのことに気を取られてしまい・・・

・・・知人は、顔を先に完成すると先に進める、と言っていたが、ボクは、顔を一番最後にしようと考えていた。

 

まあ。第一回の作品なのだから、もう少し気楽に構えなければならない、と思いながらも、憂鬱で力が抜けてしまう・・・

 

気を取りなおして。

 

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外の世界が随分静かになってきました。夏の様々な音が止んで、ヒトによっては、寂しく感じるところかもしれません。ミミはともかく、目は変化を楽しむような・・・

 

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2、3年ぶりになるだろうか、『今昔物語集』を手に取っている。今回は、「天竺・震旦部」

 

 

 

 

大黒さん など

今朝の産経抄で、国語に対する世論調査の事が書かれてあった。25年前と比較しての、「うちの子」をめぐる意識の変化。・・・

・・・高市さんには不利な感じの結果ですね。

・・・お坊さん世界の話題を思い出します。ボクの現役の頃は、けっこう揚げ足取りとかいじめの様なことが一般的だったのですが、近頃はみな人格者ばかりで、そういうことは見られなくなったと。ゆとりなのかなあ、と。

実は、ボクは完全にリタイアしているのですが、それでも心の底の方で自分の後継ぎの事を心配している。数年後には晋山式(一人前の住職になる式)を営むらしいが、そうなるともう大抵のことは知らないでは済まなくなる。弄られなければいいが・・・という話をしたら、その住職さんが近頃の話をして慰めてくれたわけです。が・・・

・・・世界標準からどんどんズレて行っているような・・・

 

多くの日本人にとっては日本は理想的なゆとり世界になりつつあるのかも知れないが・・・

ボクたちは世界標準の中で生きているのも確かなのですが、ね。

 

さて。大黒さんですが:

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顔がお猿さんのようになってしまいましたが、これから彫刻刀を入れるのに、鉛筆書きでは直ぐに消えてしまうので、仮に削っただけです。

それにしても、これからはちょっとした削り間違いが最後まで影響しますので、今まで以上に、慎重に本を見なければならないので、あまり進みません。

 

 

 

 

彫刻の教室

昨日、2か月振りで仏像彫刻の教室が開かれた。

参加者は少なかった、6割ぐらいか

 

欠講の時には連絡はあったが、教室を開講する連絡はなかったので、忘れている人も居たのかも知れない。ボクは当番に当たっていたので、出かけた。出かけて正解であった。

 

久しぶりに作品を講師に見てもらい、ついでに、彫刻刀を研いだ。

電動砥石なので、丸刀も切れるようになった。

11月に作品展をやることも決まった。

 

集まった人はいつもより少なかったが、久しぶりなので、けっこう話が弾んだようで賑やかであった。

 

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大黒天を本を見ながら彫っていて、どうしても分からないところが次々出てくる。

そういう時、ネットにある大黒天の画像を見ると、分かることが多い。

たとえば、耳はどうなっているのか、本の絵を見ていてもどうしても分からなかった。それが、ネットの画像を見ていたら、耳たぶがひょうたんのように膨れているのが分かった。それから、ネットに溢れる画像を見ているうちに、本ではどうしても読み取れないところは、画像を見て想像したように彫ればいい、という気になってきた。

過去に大黒さんの像を見たことがないわけではない、が、彫ろうとして起こる疑問に答えられるほどにはハッキリ見ていなかった、ということである。(・・・モンタージュ写真を頼まれたりしたら、ボクは完全にお手上げであるなあ。)

また、側面図などを見ながら立体を想像力で構成する力もボクには欠如しているようである。ため息

 

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ちょっとだけ彫りすすんだ