いろいろ

散歩が余りできないのは、”普通に歩いていてアキレス腱を傷めた”記憶がよみがえるからである。

もう若くはないんだぞ、ということである。

それから、ときどき、膝に違和感を覚え、そこで立ち止まって足踏みをしたり・・・しばらく足踏み、するとまた歩ける・・・

 

ま。老後の体力というのは相当な個人差があるだろうから、ね。

 

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仏陀』まだ、半分も読んでいないので何とも言えないところもあるのだが、

私たちが、珍しい生き物を観察したり解剖したりすることと、オルテンベルグのやっていることは似ているのかな、と思ったりする。正確なのだが冷ややか、というのか。

正確ということでは中村元さん(岩波文庫本)などにも感じるが、正確であろうとするところに冷たさは感じない、増谷文雄さんは少し違うような・・・彼は熱いのかな。

 

そうそう、昔を思い出した。木村泰賢さんは「寝っ転がって考える」と知って、読む熱意が急激に醒めたことを思い出した。とうぜん、正座なりなんなりの姿勢で考えるものと思っていたのである。・・・今ボクは寝っ転がって本を読んでいるのだが・・・若い時はそんなことを気にしていたんだ。

 

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トランプさんをめぐる報道(といっても見出ししか見ないのだが)を見ていて、

この間『大衆の反逆』の読書を、腹を立てて、途中で投げてしまったことを思い出した。

我慢して最後まで読むべきだったな、と。

 

模範解答はないし、おそらく方向性もない。適応があるだけなのだろう。

しかし、ポピュリズム批判は、方向性を問題にするとことから出てくるのだろう。

こういう大事な問題は、もっと根気よく考えないといけないね。

 

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『仏陀』

ヘルマン・オルテンベルク 初版1881年

帯に「ニーチェが読んで刺激されたブッダ論」とある。翻訳者には木村泰賢の名がある。ずいぶん久しぶりに聞く名前である。東京の「般若道場」で坐禅を始めた時、先輩から、つまらない本を読まないで「木村泰賢全集」を読みなさい、と言われて読んだことを思い出した。

 

図書館の本を借りて読もうと思ったが、見つからず、やむなく購入。ちょっと高価であった。

 

振り返ってみるに、西欧人の書いたブッダ論というのは読んだことがなかった。

 

まだ読み始めたばかりだが、なかなか面白い。日本人ではここまで突き放したようなことは書けないかもしれない。

研究資料を丁寧に読んでいる、という感じである。

ちょっと、解剖して(あるいは発掘して)部品をつなぎ合わせているような感じもある。

 

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今朝は25℃近くあるのではないだろうか・・・この前は5℃ぐらいだったのだから、驚く。こういう揺さぶりは老人には対応が難しい。

 

昨日は、散歩に行かずに本を読んでいた。読み始めた『仏陀』がなかなか面白いのである。

散歩から帰ると、眠くなってしまい、何もできなくなるので・・・。

途中で出合うと時々立ち話をするおじさんは、散歩を一日2時間、午前中1時間、午後1時間と言っていたが、私は30分の散歩で疲れてしまう。その散歩も毎日は出来なくなってきたな

 

 

 

 

17日は将棋の日でした

こんな日あったのですね、というより、最近作られたのでしょうか

 

最初に、将棋の事。

私は3手先も好く読めない。・・・先生のKさんは、たいていは7手先ぐらいまで読んでいるようだ。だからまあ、大体勝てないはずなのだが。

先日は、序盤から有利に立ち、次ぎは王手で勝ち、というところまで追い込んだ。が、そこでKさんに王手を打たれて、王手の連続・・・途切れない。13手か15手ぐらいで、すべての駒を使い切ったところで、歩で詰められてしまった。打ち歩詰めではないので、アリだが・・・。勝った側は会心の勝利であろうが負けた方は・・・。

私は一番の敗因は王様が居座っていた(居玉)ことだと思ったので、次回は、一番最初に王様を角の隣(7八玉)に移動した(戦端を開いてからは王様の移動はなかなかできない)。そして5筋と6筋辺りの守りを固めた(たぶん中飛車で来るだろうと)。・・・

Kさんは如何したことか、3三桂とはねて4四銀が浮いた状態にしたまま(多分2八にいる飛車をけん制するつもりであったろう)、守りに専念してせっせと美濃囲いをしている(私の守りが早かったので自分の守りも早めにと考えたのであろうか)。銀のことに気づいていないのかどうか、試しに角筋を開けてみた。全然気づいていないようでKさんは9四歩を突いた。わたしはビックリしてしまったが、相手がミスに気づく前に、4四角と出て銀を取った。ただ取りである。

Kさんはポーカーフェイスだったが相当驚いただろうと思う。これで圧倒的有利に立ち、簡単に勝てるかなと思ったのだが・・・詰めが下手なので、相当苦労した。スルリスルリと逃げられてしまって・・・

 

これほどの能力差がありながら、けっこう勝たせてもらっているというのは、ある意味驚きである。時々実力を見せるが、ときどきポカをする(わざとではないように思う)・・・先生というのはそういうモノなのかもしれない。

 

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ある意味この前の続き

 

コーヒー牛乳と書きましたが・・・コーヒー牛乳でもいいではないか。いろんなものを抱き込み、清濁あわせ飲むようにして流れてきたのだもの。みんなの口に合い美味しければ、と思わないでもない。しかし、源流の湧き水にも、愛着が残る。どこかにルーツ探しのような・・・

・・・しかし、水清ければ魚棲まず、と言うしなあ。

 

創業者と、後継者というのは全く別な方向を見ているのかもしれないね

後に大きくなった場合は特に。

 

 

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『阿含経典』の周りをウロウロと。

当時の修行者の生き方は、托鉢で食を得る(その日の分はその日に頂く)わけだから、都市部では少し多くの修行者が生活できたが、田舎ではそれは難しかっただろう。托鉢しても何も布施してもらえない日も少なくなかったと思う。だから、

お釈迦さまの話を聞きたい人は少なくなかっただろうが、ときどきは、お釈迦さまはアナン尊者と二人ということもあったのではないだろうか。

 

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「サイの角のように独り歩め」たぶん、これがお釈迦さまの直弟子たちが教えられたことである。インドのサイは一本角らしい。また決して群れないらしい。

サイと違い、人間は群れる。

優れた弟子はともかく、普通は、一人には耐えられないであろう。

私は、師匠から「止めておけ。人間が卑しくなるだけだ」と注意されて、乞食坊主の道を断念し、小さなお寺のお守をすることになった。

師匠というのは良く人を見抜くものだ。当時は自分では分からなかったが、いま思うに、自分のようないい加減な奴は本物の乞食になってしまったに違いないのである。

 

つまり、阿含経典を読んで思うのは、お釈迦さまの弟子は、多くは、ほんとうに優れていたのだなあ、ということである。

それでも、数は少なかっただろうとも思う。アジア一帯に広がることはなかったろう。優れたものはそんなにたくさんは居ないだろうから。

 

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お釈迦さんは弁が立つ。理屈屋のようだ。・・・たぶん私は弟子になっても長続きしなかったのではないだろうか。理詰めで来られるのは勘弁してほしい方だから。

(子供の頃は屁理屈をこねて叱られていたのだが・・・)・・・それとも、インドに生まれれば理屈屋になるのだろうか・・・。

私は日本人だから、理屈が苦手なのだろうか・・・

 

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最初書くつもりでいたことからだんだん離れてきてしまったようだ

 

アマゾンの支流は何千本もあるらしいが本流はペルーから始まっているらしい。ペルーに出かけるときに読んだことがある・・・お釈迦さまから2500年、インドからいくつかの国を通って、日本に到達した。澄んだ透明な水であったものが、コーヒー牛乳のようなものになってしまっているのだろうか。と、不図思う。(コーヒー牛乳も悪くはないけどね)

 

 

 

 

 

 

故意ではないのだが嘘を書いてしまったようなので

訂正かたがた、言い訳など。

 

地獄の鬼など見ていない。・・・一年ぶりに思い出したので、曖昧だった。すこし鮮明に思い出したので、書くと;

麻酔から醒める時に、”痛み”が最初に目覚めたようだ。(まだ自分という意識も体の感覚も戻っていない。)それは、ただ痛いだけの世界に生まれた、ような気持ちを生み、あまりの痛みにそこから逃れようとした。(声をあげたかもしれないが、その感覚はない。腕を振り回した感覚がおぼろにある。何かにぶつかった様な記憶がある)

 

鬼など何処にもいない。ただ痛いだけの世界で痛がっている。手もなく足もない、声も出せない。光もない。・・・そこに、”菩薩の(と私には思えたのだ)声”が聞こえて、それから、少しづつ、感覚が目覚めた、ということであろうか

 

昨日の作文は明らかに嘘が混じっているわけだが、今かいたこれにも、多分嘘が混じっている。避けられないのだろう。

 

阿含経典を読んでいて、3回目ともなると、いろいろ余計なことを考える。

”核”になっているのはお釈迦さまの行動なり話した言葉なのだろうが、そこにどういう増高が付け加わっているのだろうか、とか。

 

お釈迦さまのお弟子たちは、後に‹小乗›と貶められる。この「阿含経典」はその小乗と言われた人たちが守ってきたものである。

お釈迦さまの教えを忠実に守ろうとしてきた。そのことによって、どういう偏向が生じたのだろうか。

アショカ王が仏教に保護を加えてから、主流は‹大乗›へと大きく傾く。大乗は、時流に敏感に反応しながら進んできた。

小乗は出来るだけ時流に乗らないようにして生き残ってきたのだろう。

すると、お釈迦さまは国王などとも付き合いがあったのだが、小乗と言われるようになってからは、そういうところから徐々に遠ざかるようになっていったのではないか。といっても、布施をしてもらわないわけには行かないわけだが・・・権力者から遠ざかったということは、多くの弟子を養うことは難しくなっただろう・・・

お釈迦さまの時代とそれほど違わない小集団の生活を続けたに違いない

 

お釈迦さまが、生まれ故郷に向けて、最後の旅に出たころには、お釈迦さまの傍にはアナン尊者一人が付き添っているだけだったのだろうか。勿論、入れ代わり立ち代わり、説法を聞くために多くの弟子が出入りはしていただろうが・・・

 

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1年前、

確か今頃入院していたのであった。

急性胆嚢炎。

まあ、俗にいう胆石である。

 

たしか一年前にも書いたことだが、全身麻酔から醒める時、あんなことを経験するとは予想もしなかった。麻酔されるときは、このまま目が覚めなければいいのに、と思うほど、静かな平和な気持であった。・・・目覚めたのは、無間地獄であった。

 

多分、私は暴れて・・・落ち着かせようと近づいてきた方を殴ってしまったような気がする。地獄の鬼から逃れようとして藻掻いて・・・

恐ろしい経験であった。

 

麻酔から醒めるとき何を感じるかは、いろいろらしい。・・・

この世で見ている風景もいろいろだもの。当然といえば当然だ。

 

・・・中には、鬼に捕まってしまい、意識が戻らないということもあるようだ

私は幸いなことに、菩薩の声に導かれて地獄を脱して、目覚めたのであった。

 

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もう一年が過ぎたのだなあ

 

幸いなことに、あれから今日まで一度も病院に行かないで日を送った

何度か行きたいと思ったときはあるのだが、コロナ騒ぎで我慢しているうちに

日が過ぎた、ということである。

 

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山が色づき鮮やかである。気温も高く風も穏やかであった。いまは

一番いい時期かもしれないね

 

 

『阿含経典』を読む

バラモン経典を読んでいるうちに、仏教の経典を読みたくなった。

 

若い時は、歯応えのある、難しいものを好んだのだが、近頃はやさしいものが好みだ。

というのも、近頃では、パンも少し堅すぎて、食パンもスープと一緒に食べる程である・・・パンよりも、ご飯をやわらかく炊いたものやうどんをやわらかく茹でたものや、カップ麺を5分かそれ以上蓋をしておいたものが、丁度良くなってきた。

咀嚼力が弱ってきている。頭も同じことである。

 

今読んでいる『阿含経典』は、ちくま学術文庫。増谷文雄編訳。咀嚼力が弱っているわたしに、噛んで含めるような、お釈迦さまの説法が聞こえてくる。

 

2016年に読み始めている。今回は3回目である。たぶん購入したのはもっと前であろう。全三冊。

文庫本にしては分厚い。全部通読したとは思えない・・・前2回の読書も、多分全部を通読したというよりは、適当な項目を選んで読んだのであろう。今回もそういうことになりそうだ・・・

 

ある日、コーサラ国ハシノク王は、美しい庭園を散歩することにした。

その園中を散歩しているうちに、【一樹の下の、心地よく、愉しく、静かにして、騒音もなく、遠く人里を離れて、瞑想に適したるところを見出した。すると、世尊のことが思い起こされた。】『阿含経典』第三巻、p160

そして、今世尊が一日で行ける距離にいることが分かると、会いに出かけた。ことが書かれてある。

 

これは世尊80歳のころ(ハシノク王も同い年)の事とある。

 

こんなどうということも無いような記述に惹かれて読んでいるのだが・・・