超10GB

今朝の読売新聞のコラムで知った言葉である。「ちょうじゅうぎが」と読む遊び言葉らしい。

尼崎市の個人情報持ち出し、は確かに信じられない事件である。

 

昨日このニュースが流れた時、私は、東海村放射能汚染事件を思い出していた。あれは何年前のことであったか・・・バケツの中で核物質を混ぜ合わせて反応が起こってしまった、という事件である・・・あの時も信じがたい思いをしたものであった。

・・・〈慣れ〉てしまうことの怖さを、あらためて思った。

 

〈慣れ〉といえば、ウクライナでの戦死・拷問のニュースにも慣れてしまってきた。いつの間にか、最初の衝撃が薄れ、対岸の火事のように見えてしまう。

 

確か、【刺激漸減の原則】だったかな。脳の機能らしい。有効に働くときが多いのだが、いつもそうとは限らないということだろう。

 

どんなことでも、最初はハードルが高いが、やがて慣れる。緊張しなくなる。

・・・不倫などもそうなのだろう。近頃このニュースも多い。

 

個人情報の扱いは、かなり厳しい罰則を決めておかないと防げないことかもしれない。

決めておいても、100%ということは、”人間”には難しいことかもしれない。・・・

 

人間には難しい・・・起こるべくして起こったと見るべきなのだろう。

どう対策を立てるか。大問題である。

 

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読書はペースダウンである。

『ことばの人間学』(新潮文庫)を読み始めた。これは、鈴木先生が、まだ若い頃に、いろんなところに発表した短文を集めたもののようである。昭和30年代から50年代初めぐらいのもののようだ。

これはこれで、興味深い。

 

 

 

 

寂寥感というのか

昨日、おにぎりに嚙り付いたら、前歯が折れた。根元から。痛みも音もなく。

 

おにぎりに噛みついている歯を取り出して、つらつら眺めてみるに、

ひびの様な模様があり、そうとう、年季を感じさせられる。恐竜の鉤づめほどではないが・・・。

 

・・・硬い歯ですら、傷んできている。・・・

・・・身体全体が、バラバラに分散しようとしている。

 

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『ことばの社会学』(新潮文庫)再読である。

いろんなところに書いた短文を集めて本にしたものである。

まだ途中であるが、印象深かったものを2つ3つ。

「国際化と日本人のアイデンティティ」p63~74

「ひ弱な日本人」に国際化は可能か p75~94

これらは、比較的長い記事だが、よく纏まっているように思う。書かれたのはどちらも昭和62年1987 35年前である。

 

ひ弱な日本人、の、実験の様なことが実際にペルーで起こった。

アイデンティティの危機に際して、日本人が結束し、日本人町のような様相を呈し・・・やがて、日本が消えた時1945から、ペルーの環境に同化して生きる道を選んで、日本語すら捨てるということになった・・・。

 

何千万人もが行き来し、移住する世界の中で、200年後の世界の中で、日本人はどういうことになっているのか。

あと数年先も見届けることが出来るかどうか、覚束ないのではあるが、心配ではある。

 

 

 

 

 

雑感

今朝の新聞、(読売と産経のWebサイトのコラム蘭)二つとも、20代の4割がデートをしたことがないことを取り上げていた。

 

昔はどうだったのだろうか。統計的には、もっと少なかったということなのだろうか。

昔は、25を過ぎれば、知人に薦められてのお見合いがあったのだが、お見合いデートもデートの内に数えているのだろうか・・・そうでなかったら

昔の方が、デートなどし辛かったようにも思えるのだが・・・。

今はお見合いはほとんどなくなったらしい。婚活は、収入が一定レベルに達してないと、難しいらしいから、そこで脱落する人も少なくないだろう。

 

昔だって、大抵の貧乏人は、仕事を覚えるのに一所懸命で、デートする時間もお金もなかったように思う。意識もしていなかったのではないか。25ぐらいまでは。

周りに世話してくれる人が居ればともかく、自分で探そうということなら、30を越えてしまったのではないか。今は、世話焼きはいなくなってしまったようだから、30を越えてしまうということだろう。

 

結婚を前提としないデートと言うのは、大半の男の頭の中にはないのではないのか。

学生時代はともかく、仕事についてからは・・・。

 

・・・・。自分の過去を振り返り、辺りを見回して思うことは、経済的余裕がない時には視野も狭く、冒険も難しい、ということだ。足を置くところを確保するのに忙しい。

 

いま。デートする人が少なくなっているのなら、足を置くところに不安があるということではないのか。

 

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『私の言語学』を見終わり、『日本語と外国語』つづきを読み進んでいる。前にも、ここで脱落したようだ。読んでいて、既視感がない。今回は最後まで!

 

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歯磨き。頑張っている。

・・・もうダメかもしれないね。・・・

この一言が効いたな。面倒だなどと言っている段階ではない!

 

 

 

 

 

 

 

『私の言語学』  つづき

今 第二章の途中である。内容が豊富で、立ち止まることが多い。

 

担当編集者が、聞きたい質問を用意し、何回か話を聞き、本にまとめたのであろう。だから、多岐にわたっているのだろう。

 

・・・自分で考える、人なら、生きる姿勢はこうあるのだろうなあ。と思いながら、見ているのだが、価値判断には、必ずしも、納得は行かない(当然だろう。経験も異なる、人の生き方に正解はないだろうから)。そのたびに、立ち止まる。

ただ、大半は、反論できるだけの材料もないし、真剣に考えたこともない。ボクは、ながいものに巻かれてきただけなのか・・・と思わされる。

ひとそれぞれ、だよなあ。そう言ってしまいたくなる。がそれでいいのかどうか。

保留である。

 

余力があれば、欄外に書き込みたいところも少なくないのだが、もうその元気がない。・・・線を引く元気もないくらいである。

 

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アジサイが色づきはじめましたね。

若竹も林の中から突き抜けてまっすぐに天を指し存在感があります。

 

 

 

『私の言語学』(大修館書店)

鈴木先生が還暦を迎えたころ(1986年)、編集者が企画し聞き取った話を纏めて出来た本のようである。

放談(と言っていいように見える)のようなところがあり、論文として書かれた物とは違う、読みやすさと面白さがある。(文庫本になっていないのは、本人の意向だろうか)

 

まだ半分も読んでいないのだが、お勧めである。

 

内容は、第一部 私の言語学

    第二部 日本文化の型について

    第三部 私の流儀

 

 

 

 

 

ドライブレコーダー 2

月間運転レポート、というのがある。

5月の評価は、77点。確か運転免許をとった時の実地テストは70点以上が合格だったように記憶しているので、まあまあかな。

勿論事故というのは100点を連発していても起ることだから、これで安心というわけではないが、非常時はともかく、平常時は、まだ運転できるということだ。

 

少しホッとした。というのも、だんだん下手になるのを感じているので、どのぐらい下手になりつつあるのか、ある意味客観的な評価を知りたかったからである。

 

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数日ぶりに散歩したら、あの泰山木、枝がバッサリ切られていた。やはり限られた住宅敷地(多分この辺は120坪以下)に泰山木は窮屈すぎるのであろう。あれだけ切れば来年は花が咲かないのではないかな。

かわいそうな気がするが、大きくなりすぎると、手入れが出来なくなる。やむを得ないのであろう。

 

散歩して思うのは、この辺は庭木が多いということ。あれだけ混みあっていて、病気が出ないのだろうか。これから相当蒸すと思うのだが・・・。今若葉が一番盛んな時期だから、とくに気になるのかもしれない。

庭の中をうまく風が通り抜けるのだろうか、と。

 

そうそう。散歩の途中で、もう一本泰山木を見つけた。大きな花が萎れて茶色くなってへばりついていた。

 

道路上に降りているスズメが目に付く。雛だろうか。

 

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ホトトギス

真夜中1時ごろ目覚めた。ホトトギスが鳴いている。

 

そういえば昨日、卯の花が咲いているのを見たな。

 

卯の花ホトトギスは、何のつながりもないのだろうが、

子どもの頃覚えた〈うのはなの におうかきねに ほととぎす はやもきなきて〉という歌が浮かんでくるので、一方が他方を連想させるのである。

 

言葉を使う人間だけが意識する繋がりだろうか

犬は言葉を操らないから、別々のものとして捉えているのか、いや、そもそも、意識に上っているかどうか。

人間だって、夜中にホトトギスの声を聴いたとしても、名を知らなかったら、

記憶に残るかどうか。

なんか気持ち悪いね。獣かな、と思うのかも。

 

言葉が記憶を豊かにするとするならば、ボクは、あまりにも言葉を知らなすぎる。

多くの経験は貧しいまま、消えてしまったことになるのだろうか。

 

ふとそんなことを考えた。

 

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高校生の頃、衣替えの前しばらくは、暑くて詰襟を脱ぎたくてたまらない日が続いた、そしてやっと脱ぐことが出来たころには、寒くて上着が欲しくなった。

今年も、そういう、曇り空や雨の日の多い季節になってきた。

散歩は、時刻にこだわらず、歩けるときに歩くようにしないと、運動不足になってしまうかもしれない。それよりなにより、周りの景色の変化を見逃してしまうことになる。

ちょっと勿体ないかもしれないな。

 

卯の花の写真は撮ってないので、タイサンボクの白い花を。巧く撮れてませんが。