《リサイクル図書配布》

「貸し出さなくなった図書・雑誌の配布を行います。入場には、事前に配布する整理券が必要です。」

と市報にあり、出かけてみた。今日は整理券をもらうため。

 

ボクはここしばらく、図書館には行っていない。読む本はすべて買って、あるいは以前買った本であった。

近くの図書館はどうも私と相性が悪いらしく、必ず帰り道で迷ってしまう、狭い道に誘導されてしまうのである。それで、行かなくなったのであった。

今回は、そこよりは2キロほど遠い、別方向の図書館である。こういう機会でもないと、まず出かけることはない。

交通の便の良いところにある。ストリートビューを見ると、外観は普通の図書館という感じで、いいね。(目の前の道路が一方通行で、行きはよいよい帰りは・・・というところはあるが・・・)

 

配布時間の5分前ぐらいに行ったのだが、すでに4,50人が並んでいた。整理券は、友だちなどに頼まれたらしく3枚とか5枚とかもらう人も居て、自分のところまで回ってくるか、すこし心配したが、大丈夫でした。(整理券に番号はないが、割り当てられた時間から推測する所では100番目ぐらいだったようである)

 

ほんの5分で用事がすんだので、図書館の中をすこし歩いてみた。鳥取湯梨浜町図書館をすこし大きくしたような感じで、窓際の机から見る外の景色がなかなかいい。

これから、ここを利用させてもらおうか・・・

 

整理券の裏面に、持ち帰っていい本の数は30冊まで。探す時間は25分。となっている。

どうやら、30分ごとに入場者の総入れ替えをするのであろう。

 

鳥取の浜村図書館のリサイクルでもらった《スペイン語ミニ辞典》とか《世界史年表・地図》などは、いまでも重宝している。

こんどは、どういう本に出合うか、楽しみである。

 

もう3月である。膝が痛いとか、腰が痛いとか、自分の体調を心配しているうちに、こういう時節になった。草が目立つようになってきたが

腰をかがめて草取りができるかどうか。

 

 

 

 

 

『AI と SF』

『残酷な世界の本音』読みました。

どこも大変だね。激流に流される木の葉の運命。生き残りをかけて必死である。

人が残酷というより、”残酷な世界”の中に生きている、という事なのであろう。

 

進化論によると、生き物は、隅から隅まで、生き残りをかけて、闘う運命の下に

生きている。

宇宙の果てまで見通せるようになってきたのだが、天体の世界も、神様の世界などではなく、銀河同士が闘っているらしい。大きい方が勝つに決まっているらしいが、闘えば無傷というわけにはいかないようだ。闘いたくなくても、重力があるので、避けられない。

 

まあ。自分に戻って考えてみるに、大過なく役目を終えて、老後を平穏に過ごせれば、文句なしということであろうか。

積極的に闘いに参加する道もあるが、できるだけ避けるという道もある。ボクはどっちだったのだろうか

 

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『ChatGPT』が話題になって数年たつ。近頃は、検索もAIがやっているようで、もう無視してはいられないので、AIに絡んだ”SF”が読みたいな、とおもっていたら、それらしい題の本が見つかったので、読むことにした。

勿論SF作家の書いたものだから、ひねりが利いていて、愉しいだろうと思う。

去年5月にでた。ハヤカワ文庫JA

 

 

 

 

 

『残酷な世界の本音』

最近YouTube動画を見ていて、福井さんの話に頷くことが多かった。

それで、最新刊の本を購入した。

まだ50ページほど(序章 日本人はヨーロッパの勢力図をなにもしらない)読んだところ、ボクには少し難しいかもしれないが

興味深い。

第一章 民族「追放」で完成した国民国家

第二章 ベルリンの壁崩壊とメルケル東独時代の謎

第三章 封印された中東と欧州の危ない関係

第四章 ソ連化するドイツで急接近する「極右」と「極左

第五章 ドイツを蝕む巨大環境NGOと国際会議

第六章 国家崩壊はイデオロギーよりも「移民・難民」

終章  日本は、嫌われても幸せなスイスとハンガリーを見習え

序章を読んだだけでも、ヨーロッパの複雑なことが分かる。

 

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ヒイラギが咲いた。白い花が多いらしいが、ここでは黄色。

春の花は、最初が白で、次が黄色のような感じがする。日差しも強くなってきて、黄色い花が咲くようになってきたということであろうか。

 

 

 

 『知ってはいけない』(講談社現代新書)

さいしょは別の話題。

YouTube動画『ミアシャイマー シカゴ大学教授 「ウクライナはすでに敗北した」

山中泉という人が、アメリカのテレビ番組に登場したミアシャイマー教授の発言を解説したものである。今年の2月20日ごろのテレビのようです。

 

ミアシャイマー教授は、もうこれ以上戦うのはウクライナ人・ロシア人兵士を殺し合わせるだけだから、停戦なりすべきである(全然そういうことは言っていないが、私の感想)と思っているのかもしれないが、この番組の主張は、来年になれば必ず、反転攻勢に転じるはずという方向のようである。3人の論客が登場するのだが、ほかの2人はそういう論調である。

・・・何故来年まで引き伸ばしたいのかと言えば、多分、今年年末にアメリカ大統領選挙があるからであろう。

 

いくつかのYouTube動画などを見ての感想だが、「アメリカの一極覇権主義」というのが、有意義だった時もあるが、今はもう、アメリカが、解決能力がないくせにちょっかいだけは出す、害悪以外の何物でもない、というのが世界の大勢の見方になってきている、ようである。

 

老害」・・・バイデンさんも、若い時は有能だったのであろうが・・・今のアメリカの象徴のような・・・周りで支える有能なスタッフがいるから大丈夫???

愛犬が咬みついた話題もあったが、愛犬がバイデンさんの気持ちを汲んで八つ当たり行動したものであろうか?

 

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「知ってはいけない」著者の矢部宏治さんの出たYouTube動画もいくつかある。5~7年ぐらい前のものが多い。

 

本を読んでいて、驚くことばかりである。

今、第六章 政府は憲法にしばられない ところを読み終えたところであるが、

60年安保で、学生運動が始まった理由がよく分かったような気がする。

 

1959年のこと。【当時、東京・立川にあった米軍基地の拡張工事をめぐる裁判で、東京地裁は「在日米軍の駐留は、日本は軍事力をもたないとした憲法9条2項に違反している」として、旧安保条約を違憲とする判決を1959年3月20日に下した。

 

それに対して、いろんなことがあり、高裁をすっ飛ばして最高裁で、12月16日に

最高裁判事全員の一致で「在日米軍の駐留は違憲ではなく、一審判決を破棄して」

東京地裁にさし戻された。

 

「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁憲法判断をしなくていい」

 

このあと、米軍基地問題だけではなく、原発問題をはじめとする、さまざまな政府の違法行為や、国民への人権侵害について、法的に抵抗する手段を失ってしまうことになりました。

 

今の日本では、政府が腹をくくれば、もう何でもできてしまう。

日本国憲法にもとづき、裁判で政府の暴走を止めることは、絶対にできないのです。】

p138から150の中から、いくつかの文章を抜き出してみました。

 

「高度に政治性を持つ問題については、最高裁憲法判断をしない。」

これでは、学生が大騒ぎをしても当然だし、学生が敗北したというのは、とても残念なことでした。

 

・・・憲法を変えても、意味がないのではないか???

・・・それが、憲法を変えない本当の理由かもしれない

・・・法治国家なの???

 

 

『危険な思想家』 

まあ。「人権」という言葉は、水戸黄門の印籠のように、働く。確かに。

何か言おうとすると、周りは慌てて、止めに入る。やめておいてくれ!

 

確かに。下手に反論すると、おかしなことを言ってしまい、墓穴を掘るかもしれない。論争に慣れていない場合は、黙っているのが賢明である。

 

この、呉智英さんは、なかなか勇ましい。

 

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第一章 オウムの托卵 という章では、宗教が論じられているのだが・・・ボクはあの時、アエラに確か「宗教は、(この世界とかではない)自分の問題を突き詰める。そして、問題が解決されたときには、(なつかしい)この世界に戻ってくる。この世界に戻ってこない解決はない。ポアする(行きっぱなし)などは論外だ。」というようなことを書いた。

これが正しいとかということではない。正しさは人の数だけあってもいい。自分が自分の人生を生きているのだから。・・・懐かしく思い出す。

「論」を云々する立場からは、こういうのは「論外」なのであろうが。修行者としては、一言いいたかったのであった。(修行者というだけで、否定されかねない雰囲気だった)

 

第二章 人権真理教の思考支配に抗して

初めのほうに、住井すゑさんのことが書かれてある。

ボクは、お坊さんになって修行を始めたのは、神戸であった。そこで初めて、部落差別のことを聞き、住井さんの「橋のない川」を読むことをすすめられた。衝撃でしたね。

関東育ちだと、(日本に)部落差別の問題があるとは、45年前は、知らないのが普通だった。

住井さんは、当時茨城県の牛久に住んでいると知り、驚いた。そんなに近くに住んでいたのかと。

そういうことがあるので、その住井さんが、戦後50年の1995年になって、戦争を賛美する文章を書いていたことが暴露された、という話を読んで、驚いた。

勝手に、反戦・反差別作家と思っていたからである。

そもそも、戦前・戦中に体制翼賛の文章を公にしていて、戦後50年まで、知られないはずはない。

みんな知っていたが、忖度されて隠されていた、ということに違いない。

それが戦後50年ごろから、明るみに出されるようになってきた・・・

 

他にも書くべきことはあるのだが、まあ。これで、読んだことにします。

 

 

 

 

『危険な思想家』(双葉文庫)

次何を読もうかと考えていた時に、この表紙が目に入った。

これはA・デューラーの絵である。デューラーは好きなので、この絵は記憶に残っている。それで、本の内容というより、表紙に惹かれて、読み始めた。

ボクにはすこし難しい。が、最後まで読めるだろう。

第一章 オウムの托卵

第二章 人権真理教の思考支配に抗して

第三章 眠れない世のために

オウム真理教の事件があったころのことが書かれてある。

ボクのところにも、オウム真理教から逃れてきた人が居た。また「アエラ」という薄い雑誌が創刊され、それに投稿したりしたので、当時のことはよく覚えている。それで、興味深く読み始めた。

まだ途中なので、感想は、読み終わってから。

 

もう一冊は

これは、2,3年前に購入して、積んであったものだが、いよいよこれに手を出した。

「知ってはいけない」という題がついている。年寄りは知らないで亡くなるほうが幸せだろうというのである。ただ、10年以上生きる可能性のある人は、知っていたほうがいいだろうと。

「10年ぐらい先に、日本は根底から変動し、崩壊するかもしれない。」

知らないよりは知っていたほうが、いいだろうということのようだ。

これが書かれたのは、2017年。

 

YouTubeで作者の名前を検索すると、6年前ぐらいに、記者クラブで講演している映像などがヒットするが、あまり反響があったとは思えない。

今、伊藤寛さんのYouTube動画も、それほど多くの人が見ているとも言えない。

 

国家の指導的立場にある人たち、あるいは次の世界のことを心配している人たちはどう考えているのか知らないが、大半の人は、聞いたから知ったからどうなるものでもない、と思っているのだろう。

ボクも、知らないで死んだほうが幸せかもしれない世代だ。知っても何もできず、寝覚めが悪くなるだけであろう。

しかし、TVを見ていると不愉快になることがあり、バランスをとる必要を感じることもある。

 

3月のような陽気だったが、寒さが戻ってきた。

 

 

 

『老子』(朝日文庫)

久しぶりに目を通した。

よく知っている言葉がたくさんある。玄之又玄。和其光 同其塵。天地不仁、聖人不仁。上善如水。抱一。大道廃有仁義。などなど。

それは『荘子』より多いかもしれない。

 

でも、ボクはどうしたわけか、老子はあまり好きになれない。

人間臭すぎるということなのかもしれない。

 

道や聖人というのは、もっと、人間の匂いのしない

例えば毘盧遮那仏のような、存在であってほしい。というところが

ボクにはあるようだ。

毘盧遮那仏はとても人間臭いのだが、でも生身の人間ではない。

それは、荘子の描く聖人に近いような。

ということで、『荘子』を読むことが多かった。

 

今回朝日文庫の『老子』を読んで、

荘子との共通点がとても多いことを教えられた。

この本はずいぶん以前に手に入れていたのだが、全部読んだことはないのかもしれない。

 

ボクは、政治に無関心な荘子が好きなのかもしれない。たぶんお金にも無縁だろう。

老子は、どうもちゃっかり蓄財していそうな雰囲気を持っている。

 

古本を購入した人のコメントに、今はこういう本は流行らないかもしれない、とあったが、たしかに。

流行るかどうかはどうでもいい事だが、流行らないと本屋で出会うことも少ないだろう。

ボクは、最初の出会いは、高校の漢文であった。

漢文の先生の雰囲気が、他の先生とは全く異なり、仙人のような、のんびりした感じであった(たぶん受験とあまり関係がないから)。そこに惹かれた。

 

そして、図書館から漢文関係の図書を借りるようになったのだが、伝統のある高校の図書館なのだが、ボクがどうやら最初かそれに近い閲覧者らしいことを知り、それもうれしかった。(他の分野の本も似たようなことだったかもしれない。図書館で本を借りる人はあまりいなかったように記憶する)

もう50年前から、流行っていなかったように思う。さらに、その数十年前から。

 

この前、「石平」さんのYouTubeを見ていたら、習近平さんのことに関連して、「中国では国家のこととかはあまり関心がない。」「一族が安泰ならいい。」「食えるうちは反抗しない。」というようなことを話していた。遠い昔からの、老子の影響なのであろうか。

 

余談

この対話は、お酒を飲みながらであったが、日本人へのサーヴィスなのかどうか、お互いを三国志の誰に似ているか、という話題になった。相手は魯粛、石平さんは鳳雛先生、ということになっていた。鳳雛先生はボクに中では、もっと性格がキツイ人なのだが、中国人の見るのはまたもっと別の資料があるのかも知れない。

なかなか面白い対談であった。