『人間の由来』
第二十一章 全体のまとめと結論
【本書における最も重要な論点について読者の注意を再度喚起するには、短いまとめだけで十分であろう。
ここで展開した考えの多くは、純粋に理論的な推論であり、そのうちのいくつかはおそらく間違っていることがそのうち分かるだろう。
しかし、すべての点について、私は、なぜ私がその考えを採用し、他の考えを採用しないのかの理由をあげたつもりである。
人間の自然史におけるもっと複雑ないくつかの問題について、進化の原理がどこまで光を投げかけることができるかを試してみるのは、探求に値する仕事だと思われた。
間違って認識された事実はしばしば長く持ちこたえるので、科学の進歩に大きな害を及ぼす。
しかし、間違った考えは、それが何らかの証拠で支えられていたとしても、それほどの害は及ぼさない。
なぜなら、誰もがその間違いを証明することに健全な喜びを感じるからであり、それがなされたときには、誤りへと導く道が一つ閉ざされると同時に、真実への道が開かれるからである。・・・・・・・】p470
確かに、訳者の長谷川真理子さんの注を読むと、ダーウィンの考えていたことのいくつかは間違いであったことが分かっている。と同時に、ダーウィンがその時代の制約の中で、どれだけ誠実に、根気よく、考えていたかということも、明らかに見て取れる。
これだけ丁寧に、考え、その考えが書かれてなかったら、性淘汰の説はもっと長い間、科学の学説としては探求されずに忘れられていたかもしれないとも、思わされる。
(それに対して、天地創造説は、否定も肯定も出来ない・・・)
・・・・・・・
あれをちょっと読み、これをちょっと読み、なかなか進まない。
本はしばらく置いておいて、外に遊びに出ようか、と考えたりもする。
何もしないで居るだけでも、動悸が激しい、ということがなければ、花を追って北の方に行ってみたい気もする。