『史記列伝』 2

蘇秦列伝 第九」「張儀列伝 第十」

 

この二節には相当の紙数が使われている(約80ページ)。舌先三寸で世を渡った二人。蘇秦は、飴と鞭。張儀は、脅し。
戦国時代の象徴的人物なのかもしれない。

 

張儀の節には、屈原がちょっとだけ顔を出す。また、説法の中で「斉と魯は三度たたかい、魯が三度勝ちを得ました。けれども、魯はやがて危うくなって、滅亡しました。・・・斉は大きく魯は小さいからです」p174 というようなことも言っている。ここを読んでいて、ウクライナの事を思いました。ウクライナは、もし勝ったとしても、国土は荒廃し、巨額の借金に苦しめられる未来が待っているだけなのではないか。今の時代だから滅びることはないかもしれないが・・・。

 

孟子・荀卿列伝 第十四」今まで「太史公曰く」というのは、話の最後に出てきたのだが、この節は一番最初に持ってきてある。


「私は孟子の書物を読んで、梁の恵王が”先生は何によってわしの国を利(富)ませてくださるか”と問うたくだりを開くたびに、書物を下に置いて嘆息したものである。わたしの嘆きはこうである。なさけない事だが、利というものこそ乱のいとぐちだと。孔子が利ということばを口に出されたことの至ってまれであったのは、乱のみなもとを防ぐためであった。・・・。天子より庶民に至るまで、利を好むことから生ずる害に、何のちがいがあるだろうか。」p231
そだね。・・・・しかしなあ。

 

この節の最後に近いところで、荘子について次のようなことが書かれてある
儒者を軽蔑し束縛を軽んずる荘周などは、ぬらりくらりとして俗を乱していた。」p237