『三国志』つづき

孔明劉備に迎えられて盧を出る。この辺の、孔明の心の動きが今一つ分かりにくい。三顧の礼で迎えられたといっても、なぜ、逃げ足ばかり速い劉備と行を共にしようと決断したのか。あの時代の人としては、ああいう迎えられ方をすると、断ることは不可能なのか。・・・

ヒトとヒトの出会いというのはそういうモノ(本当のところはよく分からない)なのかもしれない。

男と女の出会いも、分かるようで分からない、分からないようで分かるようなところがあるからね。結果論では、それらしいことをいろいろ言えるけれども。友達もそうかも、だね。

 

赤壁の戦い前後の、『三国志演義』の孔明の神のごとき働きは、ぜんぶ創作のようである。少なくとも「正史」の中では、孔明は何の働きもしていない、ようである。荊州を追われて逃げ出すところから「赤壁の戦い」まで、特記すべきことはほとんど何もしていない。劉備と一緒に逃げ回っているだけのようだ。

これではさみしすぎるので、ああいう特殊能力の発揮の場面を創作したのかもしれない。現実の孔明は戦争が下手なのではないか

確かに、後の「出師」何度か五丈原の方へ兵を出す有様を見ていると、石橋を叩いて渡るような慎重な様子がうかがわれる。他人を信用できない性質なのかと感じるほどである。孔明は偉大な政治家であった、だから大局観はともかく、区々たる場面での戦術は、大半が「演義」作者の創作なのかもしれない。

 

読んでいて、「演義」をもう一度見直したいところがいくつか出てきている。忘れてしまわないうちに、読み直してみようかとも考えている

(多くの参考書は古本屋に送ってしまったので殆ど残っていない。なにしろもう一度読むことがあるとは思わなかった。終活で処分をしたのであった。)

だから、すべて忘れてしまってもいいかもしれない。しかし・・・今は気になる。