曹操はネタニヤフに少し似ているかな?

曹操は、父親が宦官の養子であった、その方の子である。後漢末期に、宦官は随分酷い事をしたので、士大夫階級の人びとからは蛇蝎のごとく嫌われ憎まれていた。

曹操がかなり勢力を蓄えてきたころ、もう政界を引退していた父親が、陶謙に殺されるということがあった。曹操は烈火のごとく怒り、陶謙の支配している地域の住民をことごとく斬殺するという復讐をする。防ぎきれない陶謙は体を壊して病没する。それでも怒りは収まらず、斬殺を続ける。

すると、それまで曹操を信頼していた人たちが、曹操に対する信頼を失い、離反し、反乱を起こすという事態になる。

 

ほとんどの部下が離反するという事態に至って、曹操は、復讐は何も生み出さないことに気づき、復讐ではなく、自らの徳を涵養する必要性を痛感する。

(まだこの先は読んでいないが、たしか深く反省して、離反した部下の罪は問わなかったのではなかったか)

 

 

ネタニヤフ政権の人たちはどうなのだろうか。この上さらに、信頼失墜の復讐劇を続けるのだろうか。

 

 

この陶謙の跡を劉備が継ぐことになるのだが・・・宮城谷さんは、このあたりで、劉備道教的考えを持っていたので、分かりにくいのかもしれないと、言っている。

また、孔明はこの時まだ小さな子供だったのだが、曹操の怒りのすさまじい虐殺を見ていて、曹操には否定的な見方をするようになったのではないかとも書いている。確かに、こういう虐殺を見てしまうと、以後どんなに善人ぶっても、偽善としか思えないだろうなあ(インドのアショカ王も、どれだけ人を殺したか分からない)

 

ボクは、劉備は立っているとき手が膝まで届いたと言われている(お釈迦さまもそういわれている)ので、仏教の影響を感じるのだが・・・。

 

これから、呂布の死、官途の戦い、三顧の礼赤壁の戦いと、大きな山場を迎える。

 

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昨日、自転車の練習をした。・・・・

まだ、もう少し、練習が必要な気がする。練習で巧くなればいいのだが

それにしても蒸し暑い。自転車は涼しくて、いいね!

乗っているときは確かに涼しいのだが、下りると汗が噴き出す、緊張しているのだろうなあ・・・

 

それにしても、歩道というのは走りにくいものである。今回痛感した。歩道は、三輪車で走るのは難しいね。出来ないといっていいかも。傾斜が多すぎる。自転車でも、ときどき車道に出なければならないところがある。