雑記

若い頃、中國の歴史にかんする本を随分読んだ。とくに宮崎市定氏のものが好きだった。そこで最初に教えられたことは、衣食足りて礼節を知る。食いものが一番最初だということのように思う。

食わせてくれる指導者になら従う。ということだ。

トランプ人気にも、そういうところがあるのではないか。

デモクラシーはその後だ、というのが大方の本音かもしれない。

しかし、同時に、大義名分も欲しい。

 

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とにかく肌身離さず、ニトロを持ち歩く。だんだん慣れてきたが、薬局のくれた紙袋ではすぐにヨレヨレになってしまうので、カプセルか何かのような、取り出しやすい容器にいれて持ち歩くのがいいかもしれない。

 

・・・落ち着いてきたら、ずいぶん狭いところに囚われていたなあ、と改めて感じる。どういうことかというと、

他人の好意によって住むことが出来ている「この場所」を汚すようなことがあってはならないという思いが強すぎて(去る時には来た時よりも綺麗にしてお返ししよう)、何人かをボクの不安に巻き込んでしまったなあ、と。

 

 

こういうことが起こると、狼狽える。自分一人で狼狽えていればいいのに、他人を巻き込む。反省しなければならないところだ

狼狽えているだけなのに、考えているつもりでいる

 

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夜急に冷え込んできて、寒さで目が覚めた。

まだ雪にはなっていないが、降りそうではある。

時刻が時刻なので(2時)そのまま起きることにした。

書くほどの材料があるわけではないが、前のつづきのようなことを

少々記した。

 

 

 

 

 

 

『アメリカ黒人の歴史』(岩波新書)

今読みさしの本はすべて図書館に返さなければならない。

それで、手持ちの本を読み始めた。

 

最近のアメリカのニュースを見ていて、もう少ししっかりした基礎知識を持たなければならないと思ったのであった。が、他の話題に取り紛れて、積読状態であった。

 

トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の中で、人種差別問題が、自由と平等のアメリカの最大の問題で、何時かは解決しなければならないだろう(解決できるだろうか)というようなことが書かれてあったが、今回この新書を読んでいて(まだ読み始めたばかりなのだが)

ディープスロート(喉の奥に食い込んだ棘、トップに近いところに食い込んだスパイ)という言葉を思い出した。飲み込みにくい、吐き出しにくい。

 

もう20年ぐらい前のことになるが、私の身近にアメリカ人の修行者が来ていたことがある。彼といろいろ話していて、ある時気づいた。彼の意識に黒人は居ない。黒人は国民の中に入っていないのだ、と。

1789年の合衆国憲法では、アメリカインディアンや黒人は国民から除外されて、私有物扱いされた、らしい。P48

 

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民主主義関連の本をいろいろ読んできて、つい最近は「カール・シュミット」を読んでいた。かれは独裁的民主主義を考えていたのだろうか・・・

ハンス・ケルゼンに『民主主義とその価値』という本がある。(岩波文庫

この本は難しすぎて、私には読むことが出来なかったのだが、その本に付録のように収録されてある「民主主義の擁護」という文章がある。

民衆がもはや民主主義を欲しなくなり、多数者がほかならぬ民主主義の破壊のために結集したとき、民主主義者は如何すべきか、というようなと問いかけをして、民主主義救済のための独裁などを求めるべきでない。と書いている。シュミットにnoといっているわけだろうが・・・(当時は共産主義がより大きな脅威であった)

 

その民主主義も、憲法規定で動くしかないのであろう。その憲法が、一部の利益を代表するだけで、多くを排除してしまえば・・・多数決か・・・

 

・・・・ペルーで日本人の友人から聞いた「トルデシジャス条約」の話から、いろんな本を読み、考えてきたのだが・・・、よくわからないまま中断の可能性が出てきているので、まあ、記録を残そう、と。でもすぐ疲れてしまうので、意を尽くさない。

 

・・・今回は、五体満足では戻れないかもしれない、から。

(ホラー好きの悪趣味かな)

 

追加

【「デモクラシーにはそれ自体として価値がある」という立場と、【デモクラシーは特定の目的に奉仕する道具に過ぎない」という立場】

『民主体制の崩壊』(岩波文庫)p38、39

 

明らかに、ケルゼンは前者に立っている。それに対してシュミットは後者なのかもしれない。では、トランプは如何なのだろうか・・・アナタはどうですか。

私は・・・ここに大きな問題があることは分かる。が、この問題には出合ったばかりでまだ答えが出せない。

 

 

 

ケータイ

去年7月ごろに、SIMフリースマホが壊れてしまい(たぶん、動作がどんどん遅くなっていて熱を帯びるようになってきていたから、時代についていけなくなって爆発して(切れて)しまったのだ。・・・・私の心臓も似たようなものだ。)

使わなくなっていたケータイ(生前父が使っていたもの)を使おうとしたのだが、説明書なしでは使い方がよく分からない。用が足りない。それで諦めて、一度も使ったことのないキッズケータイ(もともとこれに入っていたカードを外国で使っていたスマホに入れていたのだが)を使っていた(説明書もあったので)。キッズケータイは不自由極まりないのだが、それを面白がっていたところがないわけではなかった。(お金がないということはそういうことである。)

 

ところがここに来て、もうすこし機能的なケータイの必要性が出てきた。

こういう健康不安が出てくると、連絡先登録をしておかなければならないところが増えそうなのである。また、このキッズケータイは、ときどき繋がらなくなったり音が低くなったり、長年使わなかったせい(保存状態も良くなかったのかもしれない)で、困った状態だったのだが、それを面白がっているわけにはいかなくなってきた。

ある意味、私に余裕がなくなってきたのである。

 

無収入の年金暮らしの身には5Gスマホは高根の花である。

そもそも使いこなせない。

それで、3Gケータイに戻り、探すことにした。

 

登録件数を増やすといっても、20件も登録すれば間に合うのだが(キッズケータイは10件しか入らない)。きちんと繋がらないと用が足りないので、そのこともある。去年試しに買ってみた4Gスマホは、まあ、動作も早く使えそうなのだが、docomoのカードが使えないようなのである。それでは困る。家族割が使えるようにしておきたい。

 

そういうわけで、決して想像していたほど安価ではなかったが、新しく、中古ケータイを手に入れた。

 

3Gは2026年3月31日で終了する。・・・あと5年。十分ではないかな。

 

困ったことが一つ。この前スマホが壊れて、登録情報が消滅し、今回また、キッズケータイの登録情報が取り出せなくなってしまった(新しいケータイに入れてみたカードを取り出せなくなってしまったのである)。

 

ボクが必要としている機能は、電話とメール(ショートメール)と、目覚まし、ぐらいである。今日あれこれ弄っている間に、やっと、電話番号を登録することが出来るようになった。先方にはどうなのか分からないが、電話の時、こちらは、この前よりずいぶん良く(澄んだ音で)聞こえるようになった。

 

 

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何を書いているのやら・・・「身辺雑記」かな。

 

狭心症

病名が分かりました。・・・すごく重症だったようですね

 

ボクが鍵穴にカギを刺すのが難しかったと書きましたが、あのとき点滴を担当された看護士さんも救急車からボクの様子を聞いて動転していたのか、今日になってボクの腕には黒くあざが広がっていました。

 

今日は朝早くから病院に出かけて、帰ってきたのはつい先ほどです。

医者通いは、なかなか大変ですね。疲れます

月曜日は混むのでしょうか

 

健康の事など考えない(粗食なら間違いないと思い込み)で生活していたのですが、コレステロール値が高くなっていたようで、心臓の周辺に血管が狭くなっているところがあるらしい。それで血流に乱れが出ている。

 

近いうちに検査入院をします。

 

ここで血管が詰まりかけているということは、他にもそういうところがないか、調べなくてはならない、ということです。

そして、その後は、治療は薬でいいのか、手術が必要なのか、そのとき判断しましょう、と。

 

帰りに薬を貰ったのですが、その一つは、

舌の下に含む、あの薬です。

・・・如何いう時に飲むんですか、と聞いたら、この前救急車を呼んだでしょう、ああいうときに飲むのです、と。

・・・そんなにやばかったんだ・・・

 

感慨無量というのか、感嘆したというのか、絶句したというのか。

いよいよ”抜かれるゴボウ”の心境だね

 

苦しくなっても、この薬が間に合えば・・・

怖いのは、自分が躊躇して飲まない決断をすることだ。

そういうことをやりかねないんだよなあ、ボクは。天邪鬼だから。

 

・・・・

 

『心臓カテーテル検査』怖くないですか、問診の看護士さんに聞かれたが、そういうのは怖くないと答えた。

まな板の鯉だから。おまかせです。

今までの人生で、自分の判断・決断で何かをするというのは、すごく緊張したけれど。今回はそうじゃないから。

・・・・お医者さんは緊張するのだろうと思うが・・・

 

 

 

無題

昨日はずいぶんうろたえてしまっていたようだ。

読み返してみて、そう思う。が、添削せず、そのまま残すことにした。

 

救急外来の医者に、循環器系の専門医に会うまでに、過去の似た症状とか、思い出せることは思い出しておいてください、と言われたのだが・・・

何を思い出せばいいのか、これはかなり難しい。が、その気になってあれこれ思い出していると、いくつか思い出したことがある。あれは、あれと思っていたが、これだったのではないか、というようなことを。

 

また、どういうことが何分続いたとか、ということも、出来れば記録してください、と。これまた難しい要求である。

昨日は、頭痛が続いたのだが、これもそうなのだろうか。気づいたのは昼頃だったが、何時から始まっていたのか・・・

また、夕方、顔がほてっている(こういうことは普段ない)のを感じたのだが、これもそうなのだろうか(私は風邪を引くのじゃないかと思い、用心に葛根湯を飲んだのだが)

・・・・なかなか難しい

 

昨日は纏まった読書はしなかった。何度も本を手にした(他にすることがないのである)のだが、読まないことに決めていたし、いつものように集中することは難しそうであった。

一昨夜は一時近くに戻り、4時半に起きたのだから、まあ、寝不足である。そのうえ、身体の様子をチェックするわけだから気が散る。

 

昨夜はいつも通り、よく眠ったようだ。今の感じは、いつも通り・・・のような。

 

ほとんど病気と無縁であったから、というより、忘れっぽいからのようにも思うのだが、こういう状態になって見ると、疑心暗鬼というか、不安が膨れて、身体のコントロールを失ってしまう。まあ、一種のパニックに陥るのだね。救急車のサイレンが聞こえてきたら、戸締りのカギをかけようとして、うまく鍵が刺さらなかった。膝から力が抜ける程ではなかったが。気が動転して、という奴だろう。

・・・まあ、5分ぐらいで着替えをして必要なものをバッグに入れ、エアコンのスイッチや何やをチェックし・・・それだけでも大忙しではあるが、鍵穴に鍵が刺さらないというようなことはあり得ない。よく見れば、手が小刻みに震えていたのかもしれない。

 

若ければ、慙愧に堪えないところだが、この年になると、まあ、しゃあないなあ、と。

 

 

 

 

 

 

 

エッ、不整脈⁉

昨夜は疲れていたので8時前に布団に入った。眠れなくてもいい、身体を休めようと。

 

ところが、胸が苦しい。胸と言っても、左胸か・・・?

(数日前から、何か閊えているようで、胃がんを疑っていたのだが、胃がんなら放っておけばいいと思っていた)

脈をとってみた。跳んでるではないか!

4回に一回、五回に一回、三回に一回・・・15回に一回・・・

 

落ち着こうと思ったが落ちつけない。

ボクは一人暮らしで、近所づきあいもない。発見されるのは1か月後というのは嫌だな。迷惑かけるだろうなあ・・・、などと思う。

・・・・・

30分ほど悶々としていて・・・明日近くの掛かりつけの医者に行こう、あのクリニックは土曜もやっているから、・・・と思い、また布団に横になる。

 

・・・横になると、どうも胸が苦しくなる・・・朝までこのまま???

堪えられるか?

 

救急車を呼ぶことにした。

 

脈拍は98,血圧は197,と、108,とか。随分興奮してますから、と答えたが、ちょっと情けない。(これでは血圧が上がりすぎだ)

20分余りの救急車の中で、とりあえず何があっても見ていてくれる人が居るので安心したのだろう、血圧は130余り、最低は88まで下がった。

ま、こんなものではないかな、普段計っていないので分からないが。

 

病院では、点滴をし、心電図を取り、採血し・・・CTとレントゲン写真を撮った。

12時近くまで、自分の心音を聞いていた。心音も乱れはあるものの、かなり落ち着いてきたようなので、精密検査の予約を入れて、帰途に就いた。

トロポニンⅠ定量の値がそんなに高くないので、心筋梗塞の恐れは低いと思います、とのことであった。(自分のこととしてこういうことを聞くことになったのだなあ)

 

 

 

・・・・・・・・・

 

70を越えると、ごぼう抜きのように、ズボッ、ズボッと、間引きが始まる、とは私の師匠の言葉だが・・・わたしもいよいよ、その間引きの候補に上がって来たかな。

5年日誌を書き終えて、まだひと月にもならないが。

 

それにしても、今のような救急車もない時代にも、不整脈はあったはずだが、不安だったろうなあ、彼らは。

 

ま。人は何時かは死ぬ。それはどうにもならない。しかし、独り身だと、死期が予期できればいいなあ、と思う。身辺整理が出来るからだ。そこにいくと、心臓というのは・・・あまり時間が与えられないかもしれない。

勿論、こうなった今は、命のロウソクの火がゆらめき始めた、と思う。

 

まあ、翌日か翌々日には発見してもらえるように、なんらかの連絡手段(あれ、連絡が来ないな、と気づいてくれるような方法)を考えなくてはならないなあ。

 

・・・・・・・

 

ストレスが引き金だとすれば、あれぐらいの読書でこんなことが起こるのだ・・・・マルコ効果ならぬ、バタフライ効果???

 

 

 

『死者の名を読み上げよ』読みました

それなりに面白い。ただ私の好みとは言えない。

 

何日も連続で本を読んでいたので、やはり体が反応しました。肩こり・片頭痛は勿論。眼も痛い。

いつも一番ダメージを受けるのは”歯”なのですが、今回もやられてしまったようです。歯茎が腫れ、歯磨きの時には血が流れ・・・やわらかい食べ物でも、噛むのが辛い。

夕方解熱鎮痛剤を飲みましたが・・・・たぶん明日朝食後と、昼食後に飲めば、落ち着くのではないかと考えています。

 

読書は2,3日(最低でも明日は)休みです。