彫刻

彫刻刀が切れないことには話が始まらない。

そして、初心者にとっては、彫刻刀の研ぎ方がいちばん難しい・・・

直刀というのか、平とかキワ刀というのは何とか研げるようになった。

しかし丸刀は

今朝の感じでは、9ミリはまあまあ研げた、が

4ミリは今一つ切れ味がよくない・・・1.5ミリは研ぐのを諦めた。

 

昔の人は刀の研ぎだけでもそうとう年季を入れたような話を聞く。

今は電動砥石で初めての人(たとえばボク)でも何とか研げるのだが、やはり研ぎ方が下手なのだろう、すぐに切れなくなる。それでも、毎週ぐらいに教室があれば間にあうのだが、今のように休講続きだと

結局自分の砥石で研ぐことになる。

切れないと細かい作業が出来ない・・・・失敗もする・・・

 

キワ刀(小さな小刀)をもっと上手に使いこなすことを考えなければならないようである。

 

・・・・・

 

ボスニア戦争とヨーロッパ』(朝日新聞社)を読み始めた。図書館の除籍図書である。普通の西欧人の戦争観のようなモノを知りたいと思って読み始めた。

ちょっと難しい、そうとう時間が掛かりそうである。

 

・・・・・・・

 

昨日は接心だったが、うまく坐れなかった。腰の左側に激痛が走り・・・

多分毎日長時間座って彫刻をしているのがいけないのかも知れない。どうしても姿勢が良くないから。・・・ほどほどにしないといけないかも。

 

雨で散歩に出ない日が多かったからなあ

 

今日は散歩日和かも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

稲刈りが始まりました。

彼岸花が咲きました。すこし早いかな

 

朝は20℃を切るようになってきました。

 

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細かいところに来たので、どこも難しい。

鼻から目元の辺りをどうするか、考えてるのですが、丸刀だろうかキワ刀だろうか、

いずれにしても、研いでからかかる必要アリ。

口元は失敗ですが、どう手直ししたものか・・・

耳に掛かるにはもう少し頬を削らないといけないと思うが・・・

 

散歩しやすくなってきたのだが・・・いつもより少し早足になっていたらしい、胸が苦しくなり、立ち止まり、しばらくしてまた立ち止まった。

汗をかかないからと言っても、まだ、ゆっくり、ゆっくり歩くように注意しないといけないようである。

 

 

 

 

読書中の本など

『死者の救済史 供養と憑依の宗教学』池上良正著(ちくま学芸文庫

 

ちょっと難しそうな題の本ですが、内容は「ゲゲゲの鬼太郎」の大人版という感じでしょうか。この間読んだ「跋扈する怨霊」とも重なるところのある気がします。

あの時は、「怨親平等の思想」というのが怨霊を鎮めた、というようなことだったと記憶していますが、これは少し違うかな。もう少し具体的か・・・あの時は貴族社会の事だったがこれはもう少し庶民の事だからか。

 

仏教の受容によって、死者に振り回されていた世界から、生者中心になった。死者を祀り上げる(生者が下)というようなところから、供養する(生者が上)、というようなモノの見方へ変わっていく。空なり無我なり平等というようなことがそのまま受容される(怨親平等というのはそういうことか)のではなく、具体的には、亡者の執念・執着を追善供養などによって鎮めてゆくという形で受け入れられてゆく。

 

この本には書かれていないと思うが(まだ四分の一ほどしか読んでいない断言はしない)、ボクは水木しげるさんの漫画が好きなのですが(先日ネットで「妖怪大戦争」を見ました。これで3回目ですね。一回目は勿論映画館です)、

「墓場の鬼太郎」から「ゲゲゲの鬼太郎」へと変化してゆくのが、このような問題の半面のような気がしています。いわば、牙を抜かれて、取り込まれてゆく。

 

『民話の世界』松谷みよ子著(講談社学術文庫

これはほんの少し読んだだけだが、以前大本教の講習に参加させてもらった時に聞いた話を思い出しました。まあ、山陰にはこういう話はいまでも多いのですが。

水木さんもこういう土地で生まれた人ですから。

どういう話か、ということは、またの機会に。

 

・・・・・・

 

彫刻は、遅々として進まない。

彫刻刀は、やはり値段相応の所はありそうですね。研いだばかりの時には気づかないのですが、しばらく使っていると・・・安いのは切れなくなってくる。専門家用・職人用というのは少し高価なのですが、それは切れ味が相当長持ちする。勿論使い方も無関係ではないでしょうが・・・

この間研いできた彫刻刀が切れなくなってしまい、細かい作業でミスしてしまいました。取り返しがつくかどうか・・・

 

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朝は長袖がいい時期になってきました。またこの間までは陽が射したような時刻にまだ薄暗いですね。散歩はしやすい。

 

 

 

 

久しぶりにJ・グールドを思い出した

と言っても、手元にはもう一冊の本もないので、曖昧な記憶であるが。

 

彼は、進化と進歩について多くの事を語っていた。そのなかで、

進化論にもいろいろあるが、ダーウィンの進化論は、進歩には関係なく

適応、適者生存ということである。と言っていたように理解したのであった。

環境の変化に適応しようとして変化してゆく。

 

今、コロナ騒ぎの中で、いろんなことが起こっているのだが、露骨に適応ということが表面に出てきているのかな、と。

 

新しい変化に適応してゆく、ということでは、それは若い人の特権のように思う。

歳をとるとそれは難しい。少なくとも、私にはもう難しいのだ。動こうとすればただオロオロするだけ。だからジッとしているしかない。

 

ネット社会になって激しく変化してきた、そこに起こったコロナ。

しばらく続きそうだから、それに適応してゆかなくてはならない。

 

数十年後の世界はどうなっているか。ボクには分からないが、今のところ、民主主義は没落していくように見えている。対応が遅すぎるのである。

リーダーシップが求められる。

しかし、長い目で見ると、どうなんだろうか。

長い目?そういう問題は適応とは少し違うかもしれない。

 

菅さんが退場し、面白いことになってきた、そう見れれば、若いということかもしれない。

 

まあ。ボクは、黙々と彫刻刀を研いだり、削ったりして、横目で見ているだけだ。

 

 

 

 

 

【お地蔵さんの頭部】 4

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遅々として進まない、が、その分、何度も手本を見る。また自分の耳の後ろなどを触ってみる。

まだ夢に見るところまでは行っていませんが、寝床の中で半分目覚めたようなときに、お地蔵さんの姿を見るようになりました。

 

 

【お地蔵さんの頭部】 3

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これからが難しい。

幸いに、電動砥石で刀を研ぐことが出来たので、何とかなるのではないかと思うが

これを見る限り、あまり期待は持てないかも。

・・・・これで失敗すれば、次はそれを生かしてまた頑張るだけである。

 

十体ぐらい作れ、と。

 

 

 

「お地蔵さんの頭部」彫刻 その2

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昨日は頑張りすぎたようで、首が痛い。

 

今日はほんの少しだけ削った。

明日は、丸刃の彫刻刀を電動砥石で研いでくる予定である。

普通の砥石では、まだ、うまく研げない。

平とかキワ刀とかは、まあ、研げている。

 

掌に収まってしまうぐらいの大きさなので、彫刻刀が切れないと、無駄な力が入ってしまい危険極まりない。

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教室は閉じているが、電動砥石だけは予約制で使わせてもらえることになっている。

 

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8月も終わりです。そろそろ稲刈りが始まりそうです。