久しぶりにJ・グールドを思い出した

と言っても、手元にはもう一冊の本もないので、曖昧な記憶であるが。

 

彼は、進化と進歩について多くの事を語っていた。そのなかで、

進化論にもいろいろあるが、ダーウィンの進化論は、進歩には関係なく

適応、適者生存ということである。と言っていたように理解したのであった。

環境の変化に適応しようとして変化してゆく。

 

今、コロナ騒ぎの中で、いろんなことが起こっているのだが、露骨に適応ということが表面に出てきているのかな、と。

 

新しい変化に適応してゆく、ということでは、それは若い人の特権のように思う。

歳をとるとそれは難しい。少なくとも、私にはもう難しいのだ。動こうとすればただオロオロするだけ。だからジッとしているしかない。

 

ネット社会になって激しく変化してきた、そこに起こったコロナ。

しばらく続きそうだから、それに適応してゆかなくてはならない。

 

数十年後の世界はどうなっているか。ボクには分からないが、今のところ、民主主義は没落していくように見えている。対応が遅すぎるのである。

リーダーシップが求められる。

しかし、長い目で見ると、どうなんだろうか。

長い目?そういう問題は適応とは少し違うかもしれない。

 

菅さんが退場し、面白いことになってきた、そう見れれば、若いということかもしれない。

 

まあ。ボクは、黙々と彫刻刀を研いだり、削ったりして、横目で見ているだけだ。