近況など

体調が思わしくなく、自重していた・・・大人しくしていました。

・・・良くもならないが、悪くもならない・・・

 

 

荒れ放題の庭や片付いていない部屋を見ていると、何もしないわけにはいかず、

本当は何もしないのが良いのだろうが、(性分として)動かざるを得ず

結局、良くならないのだろう。

自分の身だから、悪くなりそうだとそこで止めるから、それほど悪くもならないのだろうが。

狭いところで一人で勝手気ままにしていた時とは違うのだ。

 

それでも、遅々として進まなかったが、ある程度片付いて、やっと離れに住めるようになりました。

約6畳にトイレ付。むかし義母がピアノ教室を開いていた場所である。

 

以前の所は、鉄道がすぐ近くを通っていて、その音がしていた(直ぐになれたが)ここは、静かである(大きな総合病院が近くにあるので、ときどき救急車とか救急ヘリの音がするが)

 

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『大唐帝国』(宮崎市定)を読み始めた。何度目だろうか

『中国の歴史 3魏晋南北朝川勝義雄 講談社 も読み始めた。この本は、随分昔に買った本である。岩波文庫で『三国志演義』を読んでいた頃だから、50年ぐらい前だろうか。

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相当高いところから景色を眺める・・・これは宮崎さんの本に極まるか。

ある程度人の動きが見える高さ・・・これが川勝さんの本だろうか。

 

民主主義という言葉が独り歩きして、どこにも実体はないような・・・

三国時代から晋へ、そして、五胡十六国東晋時代へと移る中で、起こっていることを見ていると、いろいろ考えさせられる。

 

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天気がいいのでそろそろ散歩がしたいのだが・・・

 

 

読書

ここ2日ほど、本よりも重いものは持たないようにして、大人しくしていた。

病院に行くことも考えたが、いまは安静にしているのが一番と思ったのである。薬ニトロを飲んでも思わしくないようなら行かなければならないと思うが、今は薬を飲むかどうか迷っている段階だ。

今朝は少し落ち着いている。

 

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『脳は何を見ているのか』(角川ソフィア文庫)を読み始めた。これは1年ぐらい前、オリヴァーサックスの本を読んでいた頃購入したものだが、興味が他に移ってしまい放置していた本である。

なかなか面白い。今半分ぐらい進んだところだが、これから難しくなりそうだ。

ボクは、唯識を読んだころの知識と比較しながら、読んでいるのだが・・・

進化という観点から見ていくと、たとえば、高いところから獲物を狙っているトンビには、何がどう見えているのか、つまりは、網膜に映ったものを脳はどう処理し、どのように見えているのか(たしか視覚そのものが少し違っていると読んだことがあるので、その見え方もずいぶん違うのではないだろうか)、とか、サルはどう見ているのか(人間は逆さでは表情が読めないらしいが、サルは樹上生活だからそういうことでは困るはずだし)、とか、おおいに気になる。・・・こういう関係の本を探すことになるかもしれない。

 

本の最後の方に、参考文献とウェブサイト が示されていて、いくつかのサイトでは視覚関連の面白いものが見られるらしい。(ぼくはまだそこまでは踏み込んでいない)

 

『日本人 という うそ』まだ三分の一程度進んだところだが、なぜ『タテ社会』を読んでいてこの本を思い出したのか、よく分からない。これ(この本)はこれで、面白いが。

 

それから、多分父が最期の頃手に取った本だろうと思う『十津川警部』シリーズのなかの一冊を読んでいる。・・・ボクにはちっとも面白くないのだが・・・。最後まで読もうと思っている。

 

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もう二十日ほど、散歩をしていないのだなあ・・・ここに移ってきて一回も。

 

 

 

 

 

 

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昨日の記事は、愚痴よりも酷いなあ、と思い、削除しました。

自分の身に不安が高じると、どうやら、狭い了見に陥る。

誰もがそうだとは限らないだろうが、ボクにはぞういうところがあるようだ。

反省

 

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『タテ社会の力学』の著者 中根千枝さんの肩書は、社会人類学者。それとは全然違うが、社会心理学者の山岸俊男さんという方が『日本人といううそ』という本を書いている。肩書に同じ「社会」という言葉が付いているので、似たところがあるのだろう。この本を思い出した。

これを読んだのは5,6年前だが、日付が書いてないところを見ると、最後まで到達しなかったのかも知れない。が、途中のところに、「開かれた社会と閉鎖社会。この世界はいったいどちらなのだろうか?」という書き込みをしてあるから、斜め読みかもしれないが、最後近くまで読んだのだろう。・・・

この中に「安心社会」と「信頼社会」という言葉がある。これが、何となく「タテ社会」と「ヨコ社会」と重なる・・・。勿論全然別の分野の言葉なのだが・・・。

 

あらためて、この『「日本人」という うそ』を読んでみようかと考えている。

 

 

 

 

近況

脈の乱れ・背中の痛みが続く。

片付けの途中なので、そのまま放置というわけにもいかず

だましだまし、少しづつ。

 

8月から、おおかた3か月ほど心臓は大人しかったので存在を忘れかけていた。

少し重いものを動かしたりと調子に乗りすぎたのは確かである。

外の、道具を洗ったりする洗い場の流しが詰まっていたのを直すために、洗い場のコンクリートを持ち上げたり・・・ダンベルが縁の下に放置されていて錆びついていたのを、さび落としをしたり(これは縁の下に押し込んであるモノを処分しようとして)・・・高いところからモノを下ろしたり(これも押し入れを使えるようにしたいから)・・・

 

 

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こちらは朝方はずいぶん寒い。今、外は氷が張っているかも。

ここ数日、日中は12,3℃くらいだが、陽が射し、部屋の中は暖かい。

 

部屋の片づけが済まないと落ち着いて読書をする気にもならない。

 

『人類が知っていることすべての短い歴史』これはこれで面白い。

”どうして誰がこんなことを知っているのか。どうやって突き止めたのか”

知識の羅列とか科学者の伝記とかではなく、変人たちの試行錯誤の様子が書かれていると言えるかもしれない。まだほんの100pほど読んだだけの感想だが。

 

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今年も残すところ一月になりました

年内に一段落をつけ、正月を迎えたいのだが

この調子だと年を跨ぐことになるかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり(ため息)

脈が乱れている・・・毎日、部屋の片づけやら、不要なものの始末やらで動き回っていた。このぐらいなら大丈夫と思っていたのだが、無理をしていたのだ。

 

今日は休息日にしよう。

 

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『人類が知っていることすべての短い歴史(下)』新潮文庫

 

片づけをしていて、出てきた。一体誰が読んだ本なのか

オレには全く記憶がないが・・・

パラパラめくっていたら、ところどころ線が引いてあり、最後の頁に

16/7/2017 とある。これはボクのサインのようなものだ。

ボクが読んだに違いない。しかし、どうしても思い出せない。たった4年前だというのに!!

日誌を繰っても記載なし。

 

著者は、アメリカ出身イギリス在住のノンフィクション作家のようだ。

 

多分、(上)巻を読んでいないのではないかと思い至り、上巻を購入。

『タテ社会の力学』もう少しで読み終わるので、そのあとで読もうと考えている。

なぜ、忘れてしまったのか、気になる。

 

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7,8年前まで使っていたDELLのデスクトップを久しぶりで動かした。廃棄処分にするつもりで。データを削除するために。

しかし、動かしてみて、捨てがたい思いをしている。何と言っても画面が大きいのがいい。入っているソフトはWindows7。

中に入っている写真をスライドショーで見ていたら、いろいろ思い出した。

ケータイで撮った朝焼けの景色が沢山ある。犬の散歩の折に撮ったものである。

引き籠って本ばかり読んでいた頃、明け方に散歩に出て、朝焼けを見て帰る、ことが多かった。その時以来、好きな景色である。ほんの数分の間に朝焼けの様子がどんどん変化する・・・

 

 

この大画面で眺めるのもいいかもしれない。

 

・・・ナムはかなり写っているが、ゴウンは少ない。家内はほとんどない。

 

ケータイを持つようになって写真を撮るようになったに違いない。・・・ボクは縛られるのが嫌いで、ケータイは家内が持っていたのだが、家内が病気になって止む無くボクが持つようになった と記憶している。

 

 

 

 

 

半分ほど

読みました。

数学書か教科書を読んでいるような感じで、しばらくは、黙って付いてゆくしかない。

そこで脱落してしまう人も多いかもしれない。ような本です。

途中からだんだん面白くなってくる。

 

【わずかな格差ですら許容したくないという一般の信条・・・・・

これにはジャーナリズムが一役買うことは言うまでもない。攻撃は一斉になされ、孤立無援の状態に立たされる。・・・・この場合の対象には、・・・・どちらかといえば弱者が多く、無理をして頂点に近づいた・・・ 】p103

 

近頃の世相を見ていて、重ね合わせてしまう局面が、いくつか思い浮かぶ。

 

コロナ騒ぎの中で、こういうスケープゴート探しが一定の市民権を獲得してしまったのか、との思いを持つ。

どんなものも、諸刃の剣のような気がする。切れ味が鋭いというのは、いいのか悪いのか・・・。

 

そんなことを考えながら、読んでいます。

 

これから読む第二部 集団と集団 には、すこし明るい希望が持てればいいな

 

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「捨てる」というのは、なかなか出来ないものだ。

限られた空間を、少しでも広げたいのだが。

パソコンを2台、スマホを1台。ケイタイを3台、廃棄することにした。スマホも携帯もカードを抜いてしまっているが、写真などが残っている・・・それも、リセットである。

・・・オレの残りの人生は、ゴミの分別のためにあるのか・・・と思うほど、家の中には〈要らないもの〉が多い・・・しかし、それを捨てることは、大事な記憶も捨てることになるのではないか・・・との迷いが伴う。

というのも、捨てる分別の最中に、あるモノを手に取って、忘れていた記憶が呼び覚まされる、ことが屡々だからである。

 

しかし、こういう記憶ぐるみ、去ってゆくのも遠くないのだ・・・執着ではないのか、この思いは???

 

割り切れない思いの中で分別作業をしていると、触らない方が精神衛生上はずっといいようにも思える。あるいは、分別しないで、全部捨ててしまうのが・・・

 

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今朝は寒い。いい天気になりそうだ