昨日は本当に疲れました

生きているのが辛い、といっては大げさかもしれないが。

起きているのが難しかった。

身体が怠くて、頭も働かない。濡れ雑巾のようにだらしなく・・・

こういうことが、急に起こる。

同年代の人が山登りをしているなどと聞くと、まあ、別世界の住人の話のようだ。

年を取るにつれて、個人差のばらつきは大きくなるわけだから、自分を基準には出来ないのは分かっているけれど。

 

首筋から肩にかけて、ラブを擦りこんで、ひたすら休んでいた。寝る前にももう一度擦りこんだ。

おかげで、今朝はなんとかいつものような体調に戻っている。

夜一度だけ、胸が苦しくて、寝床の中で起き上がって数分じっとしていたが、何事もなく、やり過ごしたという感じであった。

 

ま。だましだまし、ほどほどに。というところである。

 

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杜甫」はすこし変わっていたのではないか。天才にありがちな・・・

陶淵明はきわめて常識人、のように思っていたのだが、彼のこだわりも、尋常ではないような。ああいう過渡的な、流動的な時代には、固窮の節に拘るというのは、簡単なようでいて至難なのかもしれない。誰もが刹那的な快楽に溺れるような中で、ひとり禁欲的であるようなものだから。

杜甫は、それではなく、別なビジョンを見ていたのだろうか・・・

いずれにしても、サイの角のように、ひとり歩くというイメージであろうか。

群れることが出来ない。しかし、対話はしたい(わかってほしい)、そこに詩があると・・・

 

・・・二人とも、自分の何か大事なものに気づくのは、40前後の頃である。それまでは人の中で頑張ろうとする。だが、それが性に合わない。そこの苦しみを乗り越えるのに相当時間もエネルギーも使う。・・・

今の時代でも、同じことだろう。自分の持ち味に気づくのは、長い葛藤の後であろう。

嚢中の錐のように、ときどき姿を見せるのだが、気づくのはかなり後である。

 

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今日は、天気は悪そうだが、間を見て、散歩したいな。2日休んでしまった。