『杜甫ノート』吉川幸次郎(新潮文庫)

『中国文学における孤独感』を読んで、久しぶりに、杜甫を読んでみたいと思った。

杜甫はやはり吉川先生の書いたものがいいと思うので、ずいぶん昔、20代の頃読んだ『杜甫ノート』を、古本を手に入れ、再読することにした。

 

一番最初の「杜甫小伝」と一番最後の「杜甫について(講演)」を読んだ。

 

全くと言っていいほど覚えていませんでした。初めて読む感じです

 

講演の方は、昭和23年の行われたもので、そのなかに

【役をやめ、家族をひきつれて、遠い田舎に食料疎開をする、・・・食料不足のためにせっかく就いている地位まで棄てて、遠いところへ行くなどということを、私はついこの間までどうもよくわかりませんでしたが、このごろはひしひしと分かります。

一たい杜甫の詩を読んでいますと、現在のわれわれの状況と実によく似ています。】p159

というような言葉があります。

20代の私にはまったく分からなかったと見えて、なんの記憶もありません。

 

・・・吉川先生の本は何冊も手に取っていたのですが、杜甫は、私には難しすぎたようで・・・今回も、この薄い本が読み通せるかどうか・・・『陶淵明伝』は3回ぐらい読んだ記憶があります。

 

杜甫は、吉川先生によると、天才のようです。4歳ぐらいから詩を詠んでいる。だから、科挙にも楽々通るかと言えばそうではない。時代の流行から外れている。

天才特有の傲慢さがある。容易に妥協しない。失敗するのですね。(先生は、ドン・キホーテと言っています。)

・・・それが、逆境で彼を鍛えることになる。律詩を完成する・・・が、理解されるには更に数百年が必要だったらしい。

ボクなどに理解できるはずもないわけです。

でも、先生の本は、無理すれば読めるかも。ある意味、有難い事です。

 

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「花菱文様」・・・最後に近いところで、大失敗をしてしまった。切り込みを入れるところを間違ってしまい・・・残念(削ってしまっては元に戻せません)。

まあ、また最初からです。今度はすこしやり方が分かってきたし、刀の使い方もちょっとは上手になってきているのではないかと思うので・・・

この花菱文様を10回ぐらい彫れば、一応次の段階に進めるかな。

・・・多分3回目ぐらいになれば、手本を見ないで彫れるのではないかな。

 

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衣替え。今日は夏服で丁度でしたね