『文明と戦争』

第一部 過去200万年間の戦争

を読みました。

ルソーの考え方の否定にそうとう紙数を使っている。これは意外でした。

面白いと思ったのは、ネアンデルタール人などよりも、はるかに腕力が劣っていたことが現生人類の生き残りに深く関係していると考えていることである。

「非対称的な第一撃による殺害」奇襲による殺害。

体力に自信がある動物同志のばあい、相手を一撃で倒すのは難しい。必ず反撃を受ける。と思っている。しかし、体力的に劣っている現生人類は、劣勢を挽回するために、武器を手に、夜襲をかけて、寝込みを襲って殺害するという方法で、敵を抹殺した、というのである。

弱いものを、徹底的に倒す。強い者とは正面からは戦わない。弱点を突く。滅ぼされたくなかったら、復讐・反撃をする。

ハマスイスラエルなど見ていると、人類は昔から、200万年前からそうなんだ、と。

俺だって、あそこにいれば・・・

 

よそ者。見知らぬものを信用しない。これは、ボクなどにもあるし、田舎に行くと、もろに、その視線に出あう。友と敵。こういうのは、身体の奥底に染みついたもので、相手のいることだから、これを外してゆくというのは至難なのだろうと、あらためて思う。

外国などで、顔つきの似ている人に出会うとホッとする。これはどうしようもない反応である。彼こそが敵かも知れないのに、そうは思えないのである。

女の人もそうである。敵とはとても思えない。

もう数百年前からの体験に基づいて、おそらくは兄弟姉妹が似ているというようなことが核となって形作られた原型なのであろうが・・・。

 

翻訳機で言葉の壁を薄くして・・・・

 

若い時はそんなことはなかったし、考えもしなかったのだが、年老いて、体力に自信がなくなって、不安が高じてくると、そう見えてくるのであろうか。

それとも、この本を読んでいて、こういう気分になっているだけなのか・・・