『ソクラテスの弁明』おわりました  11/26・27・28追加

内容については、最初に藤沢令夫さんの「哲学の源流プラトン」という文章があり、よく纏まっていると思います。

ですから、私はいつも通り、内容の紹介は省略して、勝手な感想を記すことにします。

 

ゴルギアス

最初はゴルギアス相手に問答をしているのだが、どうやらゴルギアスに熱意がなく、途中で、弟子の「ポロス」が相手を買って出て、問答を続ける。しかし、彼も、ソクラテスの強引な論法に嫌気がさしたのか、だんだん対話を続ける意欲を失い・・・新鋭政治家のカリクレスが、後を引き継ぐ。

かれは、現役の政治家だけあって、歯切れがいい。頼もしい論客である。しかし、自説に拘る論客であるソクラテスに徐々に押されて、しぶしぶ付き合いで、対話を続けることになる。面白くないので止めたいのだが止められない、この辺は、彼が政治家だからだろうか、評判が気になるのだろう。それでも、うんざりしてしまい、対話を止めようとする。しかし、最後まで相手をしてくれとソクラテスに懇願されて・・・これ以降は、ソクラテス一人の独白のようなものである。

プラトンの本当に言いたいことはほとんどこの部分に書かれてある。

 

これを見ると、ソクラテスは対話の相手を探しても、なかなか見つからなかった可能性がある。相手に不足がない、という相手でなければならないが、ソクラテスに愛情も興味もないという場合、途中でソクラテスの相手をするのは嫌になってしまうということも多かったのではないか

ある程度の論客は誰でも、自説を論じたいだろうが、ソクラテスは相手を封じて、自分の土俵に拘るので、だんだん面白くなくなるのだろう。

このソクラテスの土俵というのは、プラトンアリストテレスと、時代が下るにしたがって、公認されて行くことになったのだろうが・・・

 

ソクラテスプラトン)は、自説を絶対に譲らない論客のようである。

対話の中で真実を探ると言いながら、そういう事を装っているだけではないのか

プラトン哲学を広める道具として、ソクラテスは利用されているだけ???

 

まあ。対話を読むのが、面白くないわけではないが・・・

 

プラトンの対話編は、未完の事が多いように思う(というほど読んではいないのだが)

この『ゴルギアス』を未完と言うべきかどうか。結局カリクレスを説得できなかった。強制的に黙らせたに過ぎない。

これはどういうことなのか。

この対話を書いていた頃のプラトンは、政治家の道を諦めて、哲学者で立とうとしていたのだが、政治家の道も捨てがたく思っていたという事か

実際にはソクラテスの周りには沢山の取り巻きが居たのだろう(『弁明』にはそれらしい人々が居たらしいことが書かれてある)が、『ゴルギアス』では、孤独の影が感じられる。あるいは、衆を頼んで威圧して黙らせているような雰囲気なのか。

上手く運べないけど、教えなければならない、教室の様子のような。

・・・見ていて面白くないことはない。どういう状況なのか、あれこれ考えてしまう。また、若者がソクラテスを取り巻いていたら、彼の論法が有力者をつぎつぎ論破してゆくのを見ていて、マネをしただろうと思う。屁理屈で大人を困らせる。このことが大きな問題になって、のちの裁判に発展した。

 

ギリシャ哲学者列伝(上)』を注文した。20代の頃、上中下三巻一通り読んだのだが、長い間の内に何処かに紛れてしまった(おそらく誰かにあげてしまった)ので、今回(上)だけ購入することにした。

上はプラトンまで、だったと記憶する。

この本(3世紀前半に書かれた)には、ソクラテス周辺のいろいろの哲学者などの活動が、煩わしいほど、書かれていたように記憶している。当時はまだ、ソクラテスが偶像化される過程の途中であった。(26日午後届いたので早速読み始めた。本箱の隅から『メノン』『テアイテトス』が見つかった。おそらくまだ読んでいないので手元に置いておいたのだろう・・・)

同時に『ポリスの市民生活』(河出文庫)(これは相当前1993年に買って積読していたもの)を読み始めた。これは読みにくい。読み進むのは無理かも。

 

 

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今日も散歩はお休み。心臓はずいぶん大人しくしている。明日は、天気がよければ散歩してみよう。(あまり天気がよくなかったので、おやすみ。)

ここ数日、寝る前に枕元に、懐中電灯と「ニトロベン」を置いている。しばらくは、存在そのものを忘れていたのだったが。