ソクラテス  12/7・8・9 追加

ソクラテスは、「民主派に好意を寄せていた」ギリシャ哲学者列伝(上)p137

 

これはプラトンとは大きく異なるところであろう。

 

プラトンは名門中の名門の生まれである。それに対して、ソクラテスは石工の倅であり、本人も石工であったようである。彫刻家とも言われるが、当時はその区別はなされていなかったのかも知れない。

石工では、『日陰者ジュード』(トマス・ハーディ)を思い出す。大学に入ろうと苦学するが、たかく門が閉ざされている。『アウトサイダー』を書いたコリン・ウィルソンも、たしか大学を出ていない。彼は下町育ちである。イギリスは大学の門は高い。

 

また、「奴隷として働き、石を刻む仕事をしていた」p133

という説もあるようだ。

 

彼の議論はますます強引なものになっていったので、かれは人々から拳骨で殴られたり、髪の毛を引っ張られることもしばしばであり、多くの場合、馬鹿にされて、嘲笑された。弱論を強弁するものとして揶揄われたらしい。

 

だからダメと言うのではない。民主主義的なところでは、ソクラテスのようなものは、さもありなん、と思うだけである。かれは、それでも、民主派に好意的であった。

 

プラトンとの決定的な違いは、その出自であろうか。

 

ソクラテスの出自を考えるとき、彼の発言が許容されるのは、民主主義のアテネしかなかったのかもしれない。香港の民主活動家であった周さん。もう香港には戻らないとカナダ・トロントで発言したと、ニュースが流れた。〈自由でありたい〉

小突かれ唾を吐かれても、発言ができる。それが、アテネだったのだろう。アテネもいろいろ問題を抱えていたが、そこには個人の自由が有った。そういうことかもしれない。

プラトンは、王族かそれに近い貴族であった。このソクラテスの思いは共有していなかった可能性は高い。

エントロピー増大の法則ではないが、自由の増大の方向に歴史は動く(だからアメリカは大きな問題を抱えている)、とトクヴィルは見ていた。しかし、今、必ずしもそうではないような・・・。どう動くのかわからない・・・歴史にはそういうところはあるだろう。予測できるところもあるだろうが、まったく予想できない未来もある。

まあ。民主主義というのも、歴史の中では、危ういものであったようだし、自由というのも、危ういものであるようだ。

 

唾を吐きかけられても、束縛・投獄はされない。アブのように煩がられても、・・・しかし、最後には、死刑になったのであった。

 

『国家』少しだけ思い出したが、「哲人王の国家」にソクラテスの居場所はあるのだろうか。ないのではないか。死刑になってしまったのではあるが、アテネにしかソクラテスの居場所はなかったように思う。

 

AIが活躍する近未来には、「哲人王(AI)の国家」が有り得るかも。勿論、人が背後にいるのだろうが。自由を犠牲にしても安全が求められる民意の中で。