『荘子』第二 斉物論篇 より 4

【詭弁学派のうちには、まず指という個物の存在を認めたあとで、指が指でないことを論証しようとするものがある。しかしそれは、最初から指という個物を越えた一般者から出発して、そのあとで指が指でないことを論証するのには及ばない。

また、まず馬という個物の存在を認めたあとで、馬が馬でないことを論証しようとするものがある。しかしそれは、最初から馬という個物を越えた一般者から出発して、そのあとで馬が馬でないことを論証するのには及ばない。

先に述べた、無差別の道枢の立場から見れば、天地は一本の指であるともいえるし、万物は一頭の馬であるともいえるのである。】p44

 

詭弁論者(名家と言われた人が中心)が、当時荘子の周りでは大きな活動をしていたのでしょう。ここには彼らを意識したことが書かれています。

当時議論されていたことについては、『荘子』の最終章、第三十三章に論理学派の恵施(荘子の切磋琢磨した親友のようです)の説がまとめられています。

 

ここは、〈いろいろ議論されているのだが、大事なことは、言葉で相対化し分別する以前の、無差別の道枢の立場から、見る〉という事でしょう。

 

【世の人は、もともと一つであるはずのものを可と不可に分け、可であるものを可とし、不可であるものを不可としている。だが、それは、ちょうど道路が人の通行によってできあがるように、世間の人々がそういっているからという理由で、習慣的にそのやりかたを認めているにすぎない。

それでは、かれらは何をそうであるとして是認するのであろうか。世の人が習慣的にそうであるとすることを、そうであるとしているまでのことである。何をそうではないとして否定するのであろうか。世の人がそうではないとすることを、そうではないとしているにすぎない。

だが、先に述べた無差別の道枢の立場から見れば、あらゆる対立が無意味なものになる。したがって、この立場からすれば、どのような物にも必ずそうであるとして肯定すべきところがあり、可として認められるべきところがある。いいかえれば、いかなる物もそうであるとして肯定されないものはなく、いかなる物も可として是認されないものはない。

その例として、横にわたる梁と縦に立つ柱、ライ病患者と美女の西施、けたはずれのものと奇怪をきわめたもの、などの対立をあげてみよう。これらの対立差別は、人間の知恵がつくり出したものであり、自然の道からみれば、すべて一つなのである。

この自然の道の立場からみれば、分散し消滅することは、そのまま生成することであり、生成することは、またそのまま死滅することでもある。すべてのものは、生成と死滅との差別なく、すべて一つである。

ただ道に達したものだけが、すべてが通じて一つであることを知る。だから達人は分別の知恵を用いないで、すべてを自然のはたらきのままにまかせるのである。庸とは用のいみであり、自然の作用ということである。自然の作用とは、すべてを通じて一である道のはたらきである。すべてに通じて一であるものを知るとは、道を体得することにほかならない。この道を体得した瞬間に、たちまち究極の境地に近づくことができるのである。

究極の境地とは何か。是非の対立を越えた是に、いいかえれば自然のままの道に、ひたすら因り従うことである。ひたすら因り従うだけで、その因り従うことさえ意識しなくなること、これが道の境地である。】p45~47

 

この次に、有名な『朝三暮四』の話が来るのですが、長くなりましたので此処で区切りとします。

 

この〈分別対立を越えた〉絶対肯定。これが自然のあり様であり、ここに因り従う。

・・・・・

ものを斉しく見るという。これは何処から来ているのだろうか。

勝ち誇ったものが生み出す考え方ではないだろう。・・・勝ち誇ったものは、この世の栄華を楽しめばいいのだから。

 

現代では、たとえば、日本とかドイツとかに生まれそうな考えである。

 

国滅びて山河あり★・・・何もないわけではなく、豊かな文化を持っていた国が滅びて、足許の点検から取り掛からなければならないような・・・

個人においても、似たような立場(挫折の経験)に於いて、共感するのかも知れない。

 

この章と明らかにセットになっている第一章 逍遥遊篇。

そこには、現実の延長ではない 壮大な夢が描かれる。

 

★(国破れて、より、滅びて、のほうが適切のような気がしますので)