戦国時代の長い間に、それぞれの国には独自の文化が発達し、人々には、愛国心のようなものが芽生えていた。彼らにとって、秦は外国に過ぎない。
だから、秦帝国の成立は、大中国の成立というよりは、《外国による征服》として意識された。
ちょうど明治政府が当初、日本国の成立というよりも《薩長による征服》と意識されたように。
また、秦の法は、文化の遅れた国の法律で、文明の進んだ中原の国々の人々には、堪え難い苛法と感じられた。
今もし、中国の支配が始まれば、日本人には《堪え難い苛法》と感じるに違いない。
トクヴィルは、「歴史は自由の増大の方へ動く」と言ったが、これはこの時代にも当てはまるのではないか。一時的には抑え込めるにしても。
これ大筋は、宮崎市定さんの本の受け売りのようなものですが、なるほどなあ、と思います。
この支配が10年でなく50年ぐらい続けば、どうなっていたのかわかりませんが、始皇帝自身は《永代続く帝国》を夢見ていたようですね。
アメリカによる日本の支配も、今でも続く米軍の基地(圧倒的な軍事力による支配)がなかったら、中国に飲み込まれたか、ソ連邦の一部になったか、それとも曲がりなりにも自前の軍隊を持つ独立国として存在しているか、分かりません。
・・・独立国として存在するとすれば、兵隊さんは、日本の恥部などと言われることはなく、大手を振って闊歩していることでしょうね。現在の世界でも、国が軍事力なしに存在が許容されるとは思いませんから。
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ドラマ『始皇帝』に関しては、これで終了です。