9日(水)日中あれほど寒くなるとは思わないで、一応長袖は着たのだが、相当の薄着で、歯医者に出かけた。家の外に出た時、少し寒い、と思ったのだが、まあ、寒くても歯医者の事だから、家よりは温かいだろうと高をくくっていたところもあるのだが、歯医者の1時間半ほどの間に、緊張していて気づかなかったのだが、かなり寒かったようで、
帰りには気力が失せて、何処かに寄るという元気もなくなり、
関節に力が入らないような状態になって、
家に帰ってからは少し厚着をしたのだが、
夕ご飯は食べないで、寝てしまった。熱は六度九分ほどで、高くはなかったのだが、寒気がして元気が出ない。
それから、丸2日。何もしないで寝ていた。
何もしないと、いろんなことを思い出し、考える。
よく、手が後ろに回るようなことをしないで、ここまで来れたなあ。
本当に、ズルい嘘つきの、己惚れたバカ者だったのだが・・・
ここにこうして何食わぬ顔で生きていられるのは、これはどうみても自分の力ではない。自分は何処から見ても、箸にも棒にも掛からぬ取るに足りない愚か者だが、
如何いうわけか、縁に恵まれ人や機会に助けられて、
大過なく、ここまで来られた。
オレにどういう徳があるというのか(そんなものはない)
つくづく人生は不条理だと思う。無常と言ってもいい。
良縁に動かされて、大した過ちをすることなく、生きてきたのだ。
そんな、あまり楽しくない、自慢できることなど何もない、過去を振り返ったりしている中で
読み止しの本をいくつか思い出した。その中の一冊が:
エドヴィン・ライシャワー著『入唐求法巡礼行記』の研究、の日本語訳『円仁 唐代中国への旅』(講談社学術文庫)
これは20年以上前に買った本で、途中で投げてしまっていた。こんかいこれを最後まで読もう、と思ったのである。
途中で投げた理由は、日本語が、とても読みづらい。おそらく翻訳がわるいということではなく、原文に忠実に翻訳すると、こういう日本語になってしまう、という事なのだろう、とは思うのだが・・・脱落してしまった。
実はこの数年前、『入唐求法巡礼行記』という文庫本(相当分厚い)を読んでいたのだが、これも途中で挫折してしまっていた。それで、こんどこそ、という意気込みで読み始めたのだが、
また、挫折してしまったのであった。
挫折した本は、数えきれないほどあるのだが、まあ。思い出した本で、まだ手元にある本から、再挑戦である。
今第6章 大衆の仏教 というところを読んでいるが、なかなか面白い。最初のページからではなく、このあたりから読み始めれば、或いは、挫折しなかったのではないかと思う。