3日ほど前、ニイニイゼミが鳴きだした。いつも大きな声でセミが鳴いているので、気のせいかとも思ったのだが、明らかに、外でセミが鳴き始めたのであった。
しばらく、自分の中で鳴いているセミの声と、そとで鳴いているセミの声とを聴いていたが、不図、3年ほど前に、蜘蛛の巣にかかったセミの鳴き声のようなモノを聞いて、見に行った折の事を思い出した。アブラゼミがカマキリに捕まっていたのであった。
そのことを思い出していて、突然、『荘子』の1節を思い出した。
荘子を思い出すのは久しぶりである。一番最近『荘子』を読んだのは、2年ほど前かな。2年前と言えば最近のことのようだが、今のボクに2年前というのは、10年前と大した違いはない。思い出したのも、朧げなことである。
それで、本箱の片すみから、本を取り出して、その1節を探した。
情けないことに、直ぐには見つからなかった。
『荘子』外篇二十 山木篇 の最後に近い所。今、中公文庫の現代語訳(森三樹三郎訳)の所を写す、といっても、厳密ではない。
【荘子があるとき、離陵という栗林の、垣をめぐらしたなかを散歩していると、一羽の奇妙なカササギが南方から飛んでくるのを見た。翼のひろさは2メートル、目の直径は3センチもあろうか。それが荘子の額をかすめてから、栗林のなかにとまった。
荘子はこれを見て「これはいったい何という鳥だろう。翼は大きいがいっこうに飛ばず、口ばかり大きいけれど、よく物が見えないようだな」とつぶやきながら、着物のすそをかかげて大股で近寄り、はじき弓を手に握って引きしぼり、これを射ようとした。
ところが、ふと見ると、一匹の蝉が快い木陰にとまり、自分の身のことも忘れているのを見つけた。ところが、そのセミのうしろには、蟷螂がこれをねらっていて、斧をふりあげているのだが、獲物に心を奪われて、これも自分の身のことを忘れている。この蟷螂のあとを、先の奇妙な鵲がつけねらい、わがものにしようとしているのだが、これも獲物に心を奪われて、荘子が弓で狙っていることに気づかず、自分の本来あるべき真の姿を忘れているようすであった。
これを見た荘子は、思わずぞっとして「ああ、すべて万物はたがいに相手を危険に巻きこみ、利と害とは互いに相手を招き寄せるものだ」とつぶやいた。手にしたはじき弓をすて、身をひるがえして走り去ろうとしたところ、栗泥棒だと思った番人が追いかけてきて、荘子をきびしくしかりつけた。
家に帰った荘子は、そののち三か月ぐらいのあいだ心ふさいだようすであった。それをみた弟子の且は不思議に思い、荘子にたずねた。
「先生はこのごろたいへんご不快のようすですが、なにかあったのでしょうか」
すると、荘子は答えた。
「わしは物の表面ばかりにとらわれて自分の身の本来の姿を忘れてしまい、濁った利害の淵に見とれて、清い真理の淵を見失っていたのだ。わしは先生から聞いたことがある。それは『その俗にはいったなら、その俗のおきてに従ってふるまえ』というのだ。だから、はじめから禁令をおかして離陵の栗林などにはいらなければよかった。
あの離陵に遊んで自分の身を忘れたために、奇妙なカササギが、わしの額にぶつかってきた。おまけに、栗林に遊んで自分の真のありかたを忘れたために、栗林の番人がわしをどなりつけて恥をかかせた。これがわしの不快の理由だよ」】