【人間をだめにする最大のことは、自分の徳を徳として意識する心を持つこと、そして心のなかで外にひかれる目をもつことである。心がそうした目を持ったとなると、心のなかで外物を見ることになる。心のなかで外物を見ていると、つまりは外物が心に入ってくるわけで、心が乱されてだめになる。
悪い徳(もちまえ)には五つあるが、心の中の徳が最も悪いものである。心の中の徳とは何のことか。心の中の徳とは、自分のことを善しとする考えを持って、自分と同じようにしない人を非難するものである。
人が必ず困窮することになる原因が八つあり、必ず栄達することになる原因が三つあり、刑罰の原因がたくわえられている倉が六つある。
美貌で立派な髯があり、長身で体格が大きく、強壮で華麗、勇気があって果敢だという。この八つのことがすべて人なみよりすぐれていると、それをたのんでそのために困窮することになる。
自分を棄てて周囲のなりゆきに身をゆだね、調子をあわせて人に従い、恐れかしこまっているという人なみに及ばないありさま、この三つのことはすべて栄達をもたらすのである。
もの知りで聡明なのはしばしば罪とがをうけ、勇みはだで活動的なのはよく人の怨みを買い、仁と義をふりまわすとたびたび人に責められる。この六つのことは刑罰におちいる原因である。
生命の実相に通達したものは偉大であるが、知恵だけをきわめたものは小さい。大きな運命を見きわめたものはすなおに従っていくが、小さい運命だけに通じたものはつまずくものだ。】p189,190
へそ曲がりで、わざと裏返しの事を書いているのだろうと思われるかもしれませんが、そうではありません。心の中の徳をもって、ものを見てしまいがちですが、それを増長するものが、結局は身の破滅を齎す。小さな自分を大きく育ててしまいがちだという事でしょう。
『荘子』も、あと一つ、第三十三 天下篇 を残すだけになりました。
今回は、もう一度、最初の戻って、再読することも考えています。読んでいるうちに面白さに虜になってしまったようである。