『最後の将軍』感想

何か書きたいような気持が起こってきた。

・・・高橋泥舟(槍の泥舟)は、何処かで出てくるだろうと期待していたのだが、何処にも出てこない・・・勝海舟もあれだけか?・・・

 

・・・・そぎ落とすだけ削ぎ落して、水戸で育った”徳川慶喜の心事”を描こうとしたのかもしれない。それでも、最初の予想を越える長さになってしまった!・・・が、何か書き落としてはいないか・・・

あとがきはそういうことかな

 

勝海舟については、ずいぶん昔に何冊か読んだことがある。江戸城を出て、静岡に帰ってからの苦労話も・・・山田風太郎の書いたものでもあったろうか・・・そこに、愚痴ではないが、殿さまにも少しは遠慮してほしい、というような気持ちが、愚痴がこぼされていたような記憶がある。

 

まあ。いろんな立場の人が、負け戦の後では、沈黙を強いられる。飲み込んだ気持ちも表には出ない、出せない。

今度の大戦でも、墓場まで持っていかれたことが大半だろう・・・あと50年もして、影響を受ける人が少なくなれば、ぼつぼつ本音が書かれるようになるだろうか・・・今出てきているのはそうとうバイアスがかかっているものばかりのような気がする。

・・・案外、東条さんも慶喜さんと似ているかもしれないなあ。ボクなど何も知らないから、東条さんはずいぶん軽いように感じているのだが・・・山本司令長官が100日なら頑張れると言ったなら、それ以降は、負け戦は分かっていただろうから

 

慶喜の心事では、外国の事がほとんど出てこない。フランスのナポレオン3世が好きだったということぐらいか・・・大義名分や、後の世の評価が、一番大問題だった・・・そうだろうなあ。儒教思想の中で育ったのだから。

それでなければ、死後に付ける戒名など3文の値打ちもない。(だから今値打ちが下がってきている)

 

・・・・・・・

 

まだまだ、あれこれとバラバラな感想が沸いて出るが、ここまでということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

『最後の将軍』

司馬遼太郎。(文芸春秋社

 

本のリサイクル市で貰った。将棋相手のKさんが歴史好きなのを思い出して、何冊か選んだ。ボクは小説はあまり読んでいないので、図書館の係り員にも選んでもらった。4冊ほど。

 

最後の将軍、読んでいないので、どんな本なのか(一応水戸育ちなので)読み始めたら、面白くて・・・

明日将棋をする予定なので、今日までに読まないと・・・頑張って、先ほど読み終えた。

 

・・・隠居することになったのが33歳か・・・頭が下がりますね

 

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どう書くか。考えると面白そうだが・・・やはり才能なのだろうなあ

 

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今日は、近くの公園の駐車場は、車であふれかえっていた。久しぶりの事だ。

子どもたち(ちいさい)が、走り回って、楽しそうである。

 

今は、彼岸花が真っ盛り。ススキが目立つようになってきている。

松の枯れたのが目立つ。こういうのは数年ぶりだろうか。近づいてみていたら、足元に、キノコが点々と・・・キノコの時期でもある。

 

 

本のリサイクル市

今日は散歩の途中買い物をするつもりはないし、気温の具合も歩きやすそうなので、図書館に立ち寄ることにした・・・そこで、リサイクル市にぶつかることは予想していなかった。

 

沢山本が並べてあるのに、見ている人は一人だけなので、私もゆっくり見させてもらうことにした。名前を記入し、検温し・・・

 

図書館の蔵書の中から、長い間読み手の現れないような本が並んでいた。『除籍』印が押してある。

誰にも貰ってもらえないと、どうなるのだろうか

 

豪華版 日本現代文学全集 2 幸田露伴集  (講談社

昭和50年

ページを繰ってみたらパリパリ音がする。誰も開いたことがないのである。

確かに、小さな文字で見にくいが・・・

貰って帰った。

他の本と合わせて10冊ほど。もっと貰ってくださいな、と言われたが、置いておく場所がない。

 

幸田露伴著作権が切れてから久しいので、「青空文庫」で読める作品も多いのだが。ちょっと寂しい。

 

預かっておいてもらって、車を取りに帰った。車の中で思ったことである:ボクの世代とともに、紙の本は廃れてしまうのかもしれないね。

 

『華氏496度』だったかな。いまはむかし。紙の燃える温度で、”焚書”を表現した映画があったが、何を図らんかな。自然に読み手がいなくなってしまう時代が来るとは。

 

最初に反省

昨日はちょっと大人げなかったかもしれません。

『侵略者が何を言うか』というような、自分が「侵略される側」のような、感情が沸き起こってしまった。・・・侵略される側は・・・たまらない。

 

「トルデシジャス」もそうだ。侵略側が勝手に領分を分け取りする約束をして、宣教師を送り込んで、裏切り者を作って手引きをさせようとする・・・自然に、感情的になる自分が其処にいた。「ま。義を見てせざるは勇なきなり」とでも言うのであろうか。勿論何もできなかったし、しなかったのであるが。

このとき、「裏切り者」として白羽の矢を立てられた人々は、ちょっとかわいそうであるが・・・大抵純朴で心の優しい者が生贄だ・・・

 

『SF』の世界で、侵略者は大抵喜んで迎えられるということはない。A・C・クラークのSFには、喜んで迎えられるものがあったな。・・・侵略者が、芸術が分からないで寂しがるというような・・・逆手に取ったものであった。

 

大抵は、圧倒的に強力な侵略者から、隙を突いて盗みでも何でもアリで、それこそ、敵のお人よしをだまし・・・ま。紳士的ではない。

 

騙しあいの世界だ。・・・世界がそうだと思い込んでいるのだろうか・・・?

日本は、戦艦のような島国だから安全で、長い間騙し合いとは無縁だったから、卑怯な!と思うのだが、騙し合いが世界標準なのかもしれない。

 

ま。今の人たちは、論争好きに教育されてきているようだから、ボクたち年寄りとは違う感想があるのだろうとは思うが。

 

嵩にかかって論争を仕掛けられているようなのは、ちょっとね。

感情的になっては、思うツボだろうね。反省

 

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クールベさんの絵画を眺めていると、裸体画が凄く多い。これは、彼が、もてはやされて、肖像画をたくさん書くようになりお金も沢山稼ぎ出すようになって、女性との付き合いが派手になった結果らしい。

もともと型にはまらない作風だった。美しいとは思わないが、圧倒的な存在感というか、重量感が感じられる。ま、そういうのが美しいのだ、と主張しているのかもしれないが。

私は「ハンモック」というのが気に入ったのであったが。たしか画集の表紙などにもなっている、クールベさんの代表作なのかもしれない・・・あるいは日本人好みなのか。

樹の間に吊るしたハンモックの上で少女が微睡んでいる。余りの重さに、大木もハンモックも苦しそう。という感じだ。もろに重力を感じさせる。

 

ここで「クールベさん」と書いたのは、「こんにちは、クールベさん」という作品も、かれの反り返るような自信が感じられて、面白いからである。

 

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朝、寒くて目が覚めるようになりましたね。もう、お彼岸ですものね

 

 

 

 

『大衆の反逆』投げ出し

半分以上読んで投げ出すのも面白くないのですが・・・ちょっと耐え難い。

悪臭ぷんぷん。鼻持ちならない。細かいことは省略。放下すに限る。

書かれている内容には、考えさせられるところも少なくないのですが、ね。(だからここまでついてきたのですが)

・・・作者は人を不愉快にさせる天才かも知れません。(気持ちの切り替えができれば、また読むかも。借りた本ではなく、買った本ですから)

 

プルードン・セレクション』相変わらず、よく分からないままに読んでいます。

だんだんペースが落ちてきましたね、さすがに。

大事なことが書かれていると思うのですが、よく分からないのが残念。

 

誤解を恐れずにいえば、革命で国家が倒れてしまうぐらい、国家は脆い、それに比べて、職能集団の結束のようなものは、大事だし強い、と考えようとしていたのだろうか。あるいは、事実脆かったのか・・・しかし、革命を機に、国家は保守化し(完全にトップが入れ替わり)、組織された軍隊を背景に強力な体制へと変化していった・・・

 

・・・多分、この延長に、第一次大戦(国家同士の利害の衝突)のようなものが待ち構えているのだろう。

 

プルードンには、まだまだいろんな可能性があるように見えていた・・・が。

 

手元に『神々は渇く』(アナトール・フランス)角川文庫  がある。以前古本で買ったものなのだが、読む気がしないで、ほったらかしにしてある。フランス革命の雰囲気が伝わってくる、というのだが・・・

・・・思い出したが、多分今度も読まないだろう。

 

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久しぶりに晴れた。

 

 

 

 

 

雑感

プルードン・セレクション』(平凡社ライブラリー

やはり、予感していた通り、ほとんど理解できない。

 

ときどき少しだけ分かったような文句に出会う。

【ルソーは、社会契約が規定し規制するように要求されている数多くの関係のうちで、政治的関係だけしか見ていない。いいかえれば、かれは契約の根本的な点を抹殺して二義的な点のみを研究している。ルソーは、社会契約の本質的で不可欠な条件のなかに、契約者の絶対的自由、その直接的、個人的参加、事情に通じた上での署名、自由と福祉の増大を見出すべきであったのに、そのどれをも理解も尊重もしていない。】p59

 

確かに、契約者の絶対的自由など考えても居ないような気がしますね

 

【革命の原理は、今なおわれわれが知るように、自由である。・・・・

諸権力の集積を手段とする、人間による人間の支配をなくすこと。

資本の集積を手段とする、人間による人間の搾取をなくすこと。

自由!これが社会哲学の最初の言葉であり、最後の言葉なのだ。】p141

 

こういう考え方を突き詰めてゆくと、国家という形態そのものが胡散臭いものと見えてくる・・・

 

同時並行的に『大衆の反逆』岩波文庫 も読み進めているのだが、これも、易しいようで(言葉がこなれていて)、易しくない(内容、そして饒舌!)。

 

平等と自由は、相反するところもあるように思うのだが、平等の方向へ進んできた社会が、どういう様相を呈しているか・・・100年前の論考だが。

 

平等、という時、「法のもとの」ということで、国家がついて回るのだろうか。

自由、という時、生得的なもので、国家は必ずしも必要ではないような・・・お釈迦さまの教団が、必要に応じて、納得づくて「法」を持ったように、内発的なもので十分なような気もします。

 

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雁字搦めにされて、束縛され搾取される。言葉も体制側のもので、弱い者の弁護の役にはたたない。そういうところで、反逆は革命という形で起こるしかない・・・

 

『大衆の反逆』に描かれているのは、現代と同じような、豊かさの中で、お坊ちゃんお嬢ちゃんとして育った、子供のまま大きくなってしまったような、伝統(貧困・因習・過重労働・・・)とは切れている人々の登場の物語のようである。

トクヴィルアメリカで見たものから予測していた世界の、一つの断面のような・・

 

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将棋の棋譜を並べて見る時、ボクなどは超初心者だから、その時々の広がりはよく分からない。しかし、解説を聞きながら同時進行の将棋を見ていると、その時々の、”よみ”がどういうモノか、伝わってくる。

ま。歴史書も、教科書のような、済んでしまった過去を上手い具合に書いてある本を読むと同時に、その時々の節目のポイントの、現場でのルポのようなものを読むことはどうしても必要な気がする。

ただ、読まなくてはならぬものが多すぎて(そして、知識が乏しくて分からないものが多すぎる)・・・体力との兼ね合いのような感じですね。

 

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掛け布団を出したり、毛布を出したり・・・今の時期、なかなか体調管理が難しい。

 

 

 

あれこれ考えます。

この前”岩井半次郎氏”のことに触れました

そしたら、今朝彼からメールを頂きました。嬉しいです。

 

実は、彼は今年日本に来る予定があると言っていたので、会えるのを楽しみにしていたのですが、新型コロナ騒ぎが始まってしまい・・・

どうしているかと心配はしていても、何もできないので・・・何もしなかった・・・

 

・・・・ある席で、彼から「トルデシジャス線」という言葉を聞いた。1494年、スペインとポルトガルが、教皇のお墨付きを得て、地球分割協定を結んだ。というようなことだったと記憶するが・・・それは初耳だった。

(ちなみに私は高校で世界史専攻だったのでこんな有名なことは知っていなければならないはずなのだが、そのころドストエフスキーに捕まってしまって、身動きできず、勉強どころではなかったのでした)(私は結構近視眼的に対象に密着する傾向があり、他の事が見えなくなる)

その他にもいろんなことを教えられて・・・あまりにも「ものしらず」なことを恥じた。

 

岩井氏は、大航海時代の、宣教師が日本にやってきて去ってゆくまでの間に絞って、研究しているらしい。ペルーに移住したのも、ペルーに残っている日本人関係の資料を探すためだったのかもしれない・・・そこで人はどういう生活をしていたのか、想像したりするのが楽しいらしい・・・歴史小説家とほぼ同じ楽しみであろうか。

 

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ボクは・・・手あたり次第・・・興味任せ、かもしれない。

「近代ヨーロッパの情熱と苦悩」を読んでいて、「プルードン」に興味を持ち、『プルードン・セレクション』(平凡社)を読み始めた。アナーキストらしい。・・・そのなかに、ルソーを貶しているところを見つけた。嬉しくなった。

ぼくは、ルソーは胡散臭いなあ、と思っていたのだが、ルソーを悪く書いた本に出合ったことがなかった・・・

それで、ホッブズやロックなどを読んでみて・・・民主主義とは何なのだろうかと思っていたのだが・・・近頃は、貴族主義の纏っている衣、のようなものではないかと感じている。

纏うには見栄えのする好い衣だ、だからルソーに飛びついたのだろう・・・

プルードンでこの辺の事が少しハッキリするかも知れないと、期待している。ただボクには少し内容が難しすぎるのだが・・・

 

・・・ボクにはあまり時間が残されていないように思う。今、若くしてなくなる人が多いようだが、ボクは、リタイアしてから、時間が惜しくなってきた・・・というより岩井氏に出合った頃から、かもしれない。未知の大海を目の前にしている、感じか。

最初は、「言葉」だったな。

・・・・・。知らないことばかり、だ。