『琅琊榜ろうやぼう』 第二シーズン

 見終わりました。

 

なかなか面白かったですね。

ひとの情念のようなものがよく描かれている。

ストーリーそのものには無理もあるが、描きたいところが其処ではないようだから

過酷な境遇にある場合、気持ちを強く握らなければならない。恨み・つらみは握りやすい。しかし、握らないで手放す、というのは難い。そのあいだの様々な姿を描いているようである。

 

今の日本では、たぶん日本社会の主役はこの映画の敵役にしかなれないだろうから、こういう映画は出来ないでしょうね。・・・作るつもりもないでしょう。

私たちが見るのも、これが外国の映画だからで・・・とくに、台湾だからでは。

 

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さくらが五分咲き。山にこんなにサクラが多いとは、と改めて思う。

多くの木々の新芽も一斉に芽吹いたようで、山の様子が一変しました。

ツバメの鳴き声もよく聞くようになってきた。

そして、ウグイスも、町に下りてきましたね。

そのほか、名を知らないさまざまな小鳥の姿や鳴き声が・・・。

 

春霞みのような空。黄砂が舞っているようだ。

 

近所の子が東京に出発した。大学近くの下宿に行くらしい。

学校はまだ普通の授業ができないらしいが・・・

たぶん、学ぶところは沢山あるだろうし、慣れるにしたがって、いろいろ見つけることだろう。

 

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毎朝血圧を測っているのだが、数日に一度ぐらいの割合で、脈が跳ぶ。血圧はずいぶん下がってきている(下がりすぎと感じるぐらい)が、このことは変わりない。

不整脈(脈が跳ぶ)というのは、まあ、あまり気持ちのいいものではないが、これからもずっと付き合ってゆかなければならないもののようである。

 

 

 

『琅琊榜ろうやぼう』 つづき

つづきがあったのですね  第二シーズン

 

第一シーズンの終りから、丁度50年後 から話は始まる。

善政をしいた皇帝が去り、その子が跡を継いでいる。周りを固めるのは、当時の功臣の子や孫である。しかし、そこに陰湿な策謀が渦巻く。

 

見ているのがちょっと辛い。あの親の子供たちが・・・などなど。

 

まあ、あの人たちの10年後ではなくて、代が変わっているのがせめてもの慰めだろうか。

 

つい数年前にリベンジという言葉が流行り、実際に、現実にいやな仕返しが聞こえてきたことを思い出す。

 

第一シーズンでは主役が準備をして策謀を巡らし、敵を圧倒した。第二シーズンでは、どうやら、敵役の方が準備して策謀を巡らす、主人公はその中で翻弄されて行く、という筋書きなのかもしれない・・・

 

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黄砂のうわさを聞くようになりました。

私はあまり洗車はしない(環境汚染と思っているので)方なのですが、この時期にはしないわけにはいきません。・・・

ペルーで見た車は、中近東の紛争地帯の車のように埃まみれであったことを思い出します。車だけでなく、草木の葉は、新緑と言えども埃にまみれていた。

鉄の精錬のために木炭が必要で、伐採され・・・砂漠化したと教えられたのだが、黄砂という言葉から、因果というのか循環というのか、そういうことを感じます。

 

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『琅琊榜ろうやぼう』 

結局、一週間。ぶっ続けに見ていたことになる。

よく分からなかったところがハッキリし、ずいぶん分かるようになってきた。と同時に、粗も見え、字幕に対する疑問も発生した。もちろん言葉がまったく分からないので、日本語としてのそれである。

 

主人公が周到な準備をして風雨(雲)を起こす。どれだけが準備で、どれだけが不測の事態なのか、ということは、二回見ないとよく分からなかった。

 

まだ見終わってはいないが・・・心臓がチクチク痛むようになってきて、まあ、ペースダウンである。・・・疲れてしまったのである。ただ見ているだけなのだが・・・

 

忠臣蔵』が日本で人気があったのは何時までだったろうか・・・

密談の場面は多かったが、幕府側との折衝・議論の場面はあまりなかったか、見ごたえがなかったような・・・

それに対して、『琅琊榜ろうやぼう』では、議論が、大きな魅力である。見ごたえがある。

さらに、敵役がなかなか(これなら主役は大根でも務まる)。後宮の暗躍も見どころか

 

日本でも、戦国時代あたりのドラマだと、議論が大きな部分になるのだろうが・・・史実では架空の話には及ばないか

 

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昨日電話があり、4月開講の講座で、仏像彫刻を始められることになった。

 

・・・・まあ、何年かかるか分からないが、台座と光背とを付けて、薬師如来像を完成してあげたいと思っている。

娘婿の無病息災を願って彫っていたお薬師さんだったが、その娘婿が事故で亡くなってしまい、彫る気力を無くしたお母さんが、私に預けた・・・10年以上も前のことである。ながいあいだ手元に置いていたのだが

・・・

今年3月初めに、フッと、完成させてあげたいな、と思うようになったのである。

 

どういう縁なのか、以前のお寺では、本尊の正観世音菩薩像の修復をすることになり、また、新しい観世音菩薩像(仏師に無理なお願いをして坐禅をしている像を創ってもらった)を新しい建物に安置した。

今は、薬師堂の堂守りをしている。これは勿論、友人の好意で住むことになっているのだが、この未完成のお薬師さんに導かれてここに来ることになったのかもしれないのである。・・・そして今

薬師堂に住んでいて、未完の薬師像を完成しようという気持ちが起こってきている。

面白いものである。・・・操られているのだろうか

 

 

 

 

 

ネットドラマ三昧・・・

この5日ほど、ネット配信されているドラマにはまってしまい、

ドラマを見続けていた・・・肩こりがひどくなり、今は中休み。

 

『琅琊榜ろうやぼう』という台湾の(中国の)ドラマである。

一回45分で、全部で54回。たぶん2015年に、毎週テレビ放映されていたものだろうと思う。

ネット配信は何時からかは分からない。

 

中国歴史ドラマというのだろうか・・・歴史ファンタジーというのだろうか。

 

 

 

私は、なぜこれほど面白いのだろうか(これほどの長編を全篇見終わって再度見ようなどと今まで考えたことがあっただろうか)と振り返れば、映像もきれいだし、ストーリーも練られているし、役者も上手い・・・日本がかの国の影響をどれほど受けたかも一目瞭然である。しかし、本当のところ、

中國の怨念のようなものを感じるからではないか。力(利)に対して、情と理と。

(日本が失ってしまったものを見せられている・・・)

 

中國の古代史(史記)などを読むと、そういう思いがする。近代の中国もまたそうである。

ただ、こういうのは主観だから、私がそう思うというだけのことで、他の人が見れば、またいろいろな感想があるのだろうと思う。とにかくよく練られていて面白い。

 

信頼していた仲間に裏切られた・・・いつの時代か分からないが水滸伝の頃からそう遠くない(竹簡もあるが、紙の印刷された本もある)ような昔々、梁という国の首都、金陵のなかで話は展開する。・・・・

 

一言でいえば;裏切られて逆賊とされた自分と仲間の復権のための戦いなのだが、細部こそが大切なのである。全篇 見ごたえがある。

 

一度全編を見終わって、いまもう一度見直しているところである。

 

ボクはある意味、日本を代表するのは『ゴジラ映画』(シンゴジラゴジラの息の根を止めてしまったのは象徴的でした)だと思っているのだが

この『琅琊榜ろうやぼう』は台湾を代表するのではないか。

 

 

 

 

サクラ咲く

ほんの一本の枝でしたが、数輪咲きました。早いです。

 

昨日墓参りに行ってきました。お寺のコブシと紅梅がいい具合に咲いていたので、それを見ながら、玄関前に腰を下ろし、住職と少しばかり話して、今日の朝にでも一巻の読経をお願いしてきたばかりでした。もうサクラも咲き出したのですね

そうそう、お寺の上を数羽のツバメが舞っていました。・・・私が住職をしていた頃はお寺のツバメが一番先に帰ってきていたものですが・・・いまは締め出されてしまったようです。ツバメの住むところもどんどん少なくなっているのでしょうね

 

今日は午後から雨の予報が出ているので、朝のうちに散歩をしてきました

 

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「円仁」が唐に渡った頃は、ほんとうに命がけだったのですね。・・・日本はこれほど台風が来るところなのに、8月とか9月に出発したり・・・お百姓さんなら知っていただろう知識が知識人に共有されることはなかったのでしょうね

あるいは、舟が数年に一度行き来していたなら、船乗りも分かっていたのでしょうが・・・長い間をおいていたようだから・・・

 

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春ですね

草木が芽を出し、花を咲かせ、すいぶん景色が華やいできました。

飛び回っている小鳥も、黄色いのや、着飾っているようなのが目に付きます。声も、賑やかになってきました。

日の出もずいぶん早くなりました。

 

今日は彼岸の入りです。

 

店頭に出ている切り花の値段も急に高くなりました。

 

散歩の時の服装に迷います、あまり汗をかきたくないし・・・。

 

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今回、『アメリカの鏡・日本』を読んで、私としては初めて、

そういうことだったのか、と納得したことがあります。

それは、幕末、知らぬ間に「日本」は植民地化されていたということです。

特定の国の植民地にはなりませんでしたが、植民地に適用されるのと同じ不平等条約を強制され、如何ともしがたかった。

これを改正するために、多くの犠牲を払い、改正できたのは日露戦争後、1911年。

 

・・・・ボクは勝手に、植民地化されそうになって必死に撥ね退けた、と思い込んでいた。日本は植民地には為っていなかったと。

しかし、外国から見れば、れっきとした植民地であった(多分イギリスの)

 

戦後の、マッカーサー時代も、独立を保っていたと思っていた。しかし、

完全に「植民地であったのだ」主権は無かった。

これまた、(負けたけれども)独立国家であったと思い込んでいたのであった・・・

 

今まだ、米軍の駐留を撥ね退けることが出来ないということは、果たして

完全な主権を持つ国家なのかどうか・・・日本人がどう思っているかではなく、外国から見ると、どう見えるのか。

 

多分、今のように複雑に絡み合っている世界の様子を見ると、何処の国も似たり寄ったりだから、対等視されている可能性は高い。が

 

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この本を読んでいて、あれほどマッカーサーや駐留軍がキリスト教を押し付けても、結局多くの日本人は、黙って拒絶した、その気持ちが、分かるような気がする。

力はあるのかもしれないが、出来れば近づきたくない。武士ではないけれど、高楊枝でいたい。

 

私たちの次の世代はどう考えているのかは分からないが、ね。

 

 

ライシャワー博士の『円仁』に戻ろう

 

追記:『國破れてマッカーサー』を読んで、亡国、と感じて当然だったのだが、そうは思わなかった・・・鈍いというか。

ペルーで、何人かのお年寄り(先駆者たち)から昔話を聞いた時に、

4年の予定でここに来たが、日本がなくなって帰るところがなくなってしまったので、ここで結婚した。とか、もう日本がなくなってしまったので、日本語を捨てて現地に溶け込むしか道はなかった、とか聞いた。彼らにとっては、本当に日本は無くなってしまったのだ。しかし、日本にいる人たちは廃墟の中で苦しんでいるのが分かったので、アメリカ軍を通して援助物資を送ってもらった、と。(アメリカからの物資の中にこういう外地の人々の善意がそうとう含まれていたようなのだが、知っているかどうか。少なくとも私は知らなかった。・・・ただ日本政府が現在援助しているのはそういうことの延長上にあるのだろうとは思う)

 

 

 

 

 

『アメリカの鏡・日本』 読み終わりました

この本は、アメリカ(世界の大国全体)の、パワーポリティクスに対する批判として書かれた。最初はイギリスが、やがてアメリカがその代表となっていったこの政策が、国益を掲げているが、そうではなく、税金を使いながら、一部の利益にしかならないことを理解すべきではないか、ということを、日本を例にとりながら、論じている。(だから、日本のことがそうとう詳しく書かれているのである、合わせ鏡として)

このままこの政策を続けてゆけば、私たちは何処に連れてゆかれることになるのか。

 

確かに、この後、ソ連が・・・そして中東が・・・。敵を創り出し、味方を育て、裏切られ・・・マッチポンプのようなことが続いている。

 

・・・ハリウッドのコミック映画を見ていると、敵を倒すためにヒーローが登場する。と、ヒーローを倒すために、敵が強くなる。それを倒すために・・・・

そして、その陰で、町が破壊され、多くの一般市民が犠牲になってゆく。という展開が多い。現実批判が、こういう形をとっているのだろうか・・・それとも、無批判に現実をナゾッテいるだけか

 

著者は、日本は嫌いだと言っている(中国は好きだ、とも)。しかし、好き嫌いをもって物事を見てはならないとも言っている。(そして、なぜそうなのかも、本を読んでいるとよくわかる。)たしかに、これは正直な感想だろうと思う。だから、耳を傾けるに値する、と私は思う。

 

日本人が書いたものと決定的に違うのは、夜郎自大的な記述がない事である。・・・日本人の書いたものはどうしても自己弁護に思える(そういうつもりで書かれているのだろう)が、この書は、そうではない。

大国(自国)の政策に対して、国民(私たちの税金が使われて、実はどういうことが進行しているのか)に注意を喚起する目的で書かれたと思われる。・・・しかし、そういう意味では、絶版になってしまった(その後も相変わらず同じ政策を続けているし、世界は今も変わっていない)ということは、失敗だったのかもしれない。(レッドパージの吹き荒れた時に巻き込まれて忘れられていったのか)・・・

 

最後に。韓国は、今でも日本に恨みを向けている。・・・中国の声は聞こえてこないが、中国の声は、何処に向かっているのだろうか。あれだけの目にあっている。

世界中から寄ってたかってボコボコにされたわけだが。いつまでも「徳をもって」対するのか。(虫のいい話だが、そうあってほしい)

 

この項、おわり。

 

追記;蟷螂の斧という言葉が浮かんできたが、インターネット社会では或いは❕

とも思うところがある。風通しがよくなり、直ぐにウソがばれるから・・・

 

そうそう。今日はヒバリが鳴いていました。まだ耕耘の始まっていない田んぼの上を舞い上がり。・・・ツバメも、勿論。