『フラミンゴの微笑』(早川ノンフィクション文庫)

これも、1年前に途中まで読んで、積読となっていた。

なにか、他の本を読み始めて、そのまま戻ってこなかったのであろう。

 

まもなく読み終わるが、その最後に近いところに

第29章 連続性 

そこは「核の冬」というテーマで書かれてある。その前はしばらく「恐竜の絶滅」をめぐって話が進んでいた。

・・・白亜紀絶滅・・・たしか日本でも随分話題になったことがあったが・・・

 

大きな隕石か彗星が衝突し、恐竜が絶滅した。この衝撃・影響は、そうとう長期に及び、生き物の90%を殺し、種の半分を消滅させたと見積もられている。 核兵器の使用でも似たようなことが起こる可能性が高いと。

 

それで、1984年にバチカンが「核の冬」の警告を発することになった。そのときの教皇の声明文を作るために学者が集められたが、グールドもその中に入っていた。

 

白亜紀絶滅についての、グールドの功績が関係しているのかもしれない。

 

今。あれから40年。また、「核の冬」の心配が現実のものとなっている。

恐竜は絶滅した。今度は、人類が絶滅するのだろうか・・・避けがたい隕石などではなく、みずからの愚かさで。

この本の中には、地球の危機は2,800万年周期で訪れている。その原因は分からない、模索中というそのころの最新情報が書かれてある。

 

10年ほど前であったか、いつかのNHK放送らしい番組をYouTubeで見たことがあるのだが、そこには、銀河系の腕の中を太陽系が横切るのがだいたい2,800万年に一度である。そのときの重力の変化によって、隕石とか彗星とかが軌道を変えて衝突する危険が高まるのだろうというような話であったと記憶する。

それが事実とするならば、6,500年前に大きな衝突があったわけだから、その後今までに2回危機を乗り越え、次は、やく2,000万年先のはずなのだが、どう考えてもそこまでは持ちそうにない・・・

恐竜は獰猛であるといわれているが、一億年も栄えた。人間は平和を唱えながら・・・

 

 

 

 

 

いろいろ    22日追記

「心電計」の結果について

もう1か月ぐらい前のことですが、5日間ほど胸に〈心電計〉というのを張り付けて、不整脈の有無を調べました。 その結果は、病院のほうに報告されていたはずなのですが、病院から何の連絡もなく、(連絡しなければならないほどのことは記録されていないのだろうと考え)昨日、(心不全の)薬が乏しくなり、それをもらうために病院に行き、そこで結果を聞きました。

 

(パソコンの画面に写されたグラフを見ながら)不整脈が10㌫を超えると、治療の必要があるが、2㌫弱ですから様子を見ましょう。 ・・・また、何とか(聞きなれない言葉で、分からなかったが、心房細動のようなものかな? )が4回続いていますが、4回というのは稀ですから、ちょっと心配です。 しかし、これは、それともいいきれないので・・・

「(話の内容がよく分からないので)4回続くというのは(心臓が)10秒ぐらい止まるということですか」とトンチンカンな質問をしたところ、10秒も止まったら気絶してしまいますよ、という。 「そのとき、(ぼくには)どんな自覚症状があったはずですか」ときいたところ、何も自覚症状はなかったはずです。

という。 (自覚症状がなかったのなら、まあ放っておこう)ということで自分では納得した、

「夜寝ている間に心臓が止まっているのではないかと心配していたのですがそういうことはありますか」いや。 そういうことは記録されていません。

「 飛行機に乗っても大丈夫でしょうか」問題ないでしょう

 

(もっと詳しく調べる)他の検査方法についても、いろいろ教えてもらったが、「頭の片隅に入れておきます(いまは止めておきます)」ということで帰ってきた。

 

結構気になる不整脈だった(だから検査しようという気になった)のだが、2㌫というのは驚きであった。 そんなに! (心臓も大変だなあ)

 

追記:心拍数が1分間に60とすると、一日では60×60×24=86,400 1分間に70とすると、100,800 その2%は、1,720~2,016回。

以前先生から不整脈が日に一万回以上になるようだと治療が必要だが 千や二千では問題ないと言われたことを思い出しました。・・・この、2,3年前に先生に相談したころと今の心臓の状態はほとんど変わっていないという事なのかもしれません。忘れっぽくなっていて断定はできないのですが・・・

まあ。「2%ぐらいになると、不安になる」という事なのでしょう。

 

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近所の家のコブシの白い花が咲いた。 真っ白い花、まぶしいね。

 

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『日本史の黒幕』(中公文庫)読んだ。 たしか、3,4年前に買って途中で投げておいた本である。 ボクには少し難しすぎるところのある本でしたが、面白いところもあり、時間がかかったが最後まで読みました。 三人の放談と言ってもいいだろう。

 

『ニワトリの歯』(J・グールド 早川文庫)これも1年ほど前に途中まで読んで、投げていた本である。 ひさしぶりに、今つづきを読み始めている。

第五部 科学と政治 1973テネシー州「創世記法案」授業では進化と創造に同一の時間を割くように定めた法案などの話のところで、読むのを中断してしまっていた。

一応読み終わりました。続いて『がんばれカミナリ竜』(これは文庫になっていないようでハードカバー本)を読もう。これも同じころ購入して、積読状態です。

 

魯迅は、若い時は一気読みしていた記憶があるが、この歳になると、重いね、遅々として進まない。

 

 

 

 

 

 

白隠禅師の《ひとりあんま》

数年前、四国の臨済宗のお寺の檀家研修会に参加させてもらった。これは、その折に頂いたいくつかのパンフレットと一緒に入っていたものである。

 

・・・多分ご利益は計り知れないと思う。・・・

 

これに似た(ボクの知っていた白隠禅師按摩の法というのはすこし違うところがあったような記憶があるが、詳細はもう忘れてしまった。何しろ40年近く前のことだ)按摩の方法を父に教えたことがあった。父は、そこに独自の工夫を交えていたようだが、毎日、かかさず実行していたらしい。

98歳まで元気で、ある日、5月であったが、ふろ上がりに、「気持ちよかった」といって、そのままだった、ようなことを、最期を見ていた姉から聞いた。

 

父の両親も、88歳以上まで元気だったから、長生きの家系ではあるのだろうが、すべての兄弟姉妹が長生きというわけではないのだから、節制もあったのだろう。ボクは三日坊主なのだが、父はそうではない。辛抱強かった。

 

まあ。この【白隠さんのあんま】は、10分もあれば出来るし、お勧めします。

 

ボクも、このように組織立ってはいないが、ちかごろ、似たようなことはやっている。

今日たまたまこれを見つけたので、これからは、これを見ながら、やってみようと思う。

 

この⑧番目の、頭のマッサージは、ボクたちは頭をそるので、毎回そのたびに、マッサージをする癖は誰もが持っている。これは気持ちがいい。

 

 

 

衰歎 衰えを嘆く

十年に三本 歯が抜けた。

わが衰えを嘆くこと 久しい。

天のしめす道理に従って、つとめはげんできたが

今はおそれつつしんで、死の時を待っている。

顔回のような窮乏生活に耐え、

董仲舒のように閉じこもって学問にはげんできた。

前途はなお遠いのに、

余生はすみやかに過ぎて行き

日脚の移るのが速いと

いつも心をいためている。

 

陸游八十一歳のときの詩である。

自分と同じ七十代に、衰えを嘆く詩を読んでないか探したのだが、

やっと八十一歳のところで見つけた。

陸游は、生涯で二万首以上の詩を詠み、七十七歳以降だけでも四千首の詩を詠んだらしい

ボクの見ている『陸游詩選』には七十七歳以降の詩は四十八首しか収められていないので、老いをテーマにしたものは本当はもっと多くあるにちがいない。

 

しかし、七十から八十までの十年間で歯が三本欠けたと嘆いている。

ボクなど、七十の声を聞いて数年で三本を失い、さらに数本は何時失ってもおかしくないと歯医者に言われている。八十一歳になった時に何本残っているか・・・それを思うと、たった三本しか失っていないとは、大したものだ。

 

・・・詩の調子は、若々しい。

 

 

 

 

昨日、リサイクル図書配布会場に行ってきました。

日曜日ということでとくに混んでいたのかもしれませんが、道路は信号のたびに止められる。さらに、脇から出入りする車も少なくない。

この図書館は、かなりの繁華街の中(そば)に在る。

 

指定された時間の30分前に着いたのですが、もう5人ほど並んでいました。

私は、並ぶ意味が分かりませんでした(たぶん指定された時間には十数人しか入場しない)ので、図書館の中で、本を見て暇をつぶすことにしました。

 

見るだけで借りるつもりはありませんでしたが、見て回っている間に、つい手に取って、2冊ほど借りてしまった。

一冊は『魯迅選集 第一巻』(岩波書店)・・・ときどき、ボクは自分は阿Qに似ているのではないか、と思うことがあるので、若い時に読んだ魯迅をもう一度読んでみたいと思っていたことを、この時思い出したのである。

もう一冊は『哲学の歴史 第二巻』(中央公論新社

エピクロス』を読んだばかりなので、手に取った。最初の数ページに目を通したところ、すごく読みやすい。

こういう本があることは知らなかった。全12巻に別巻として年表、総索引がある。2007年に刊行されている。

ボクは、今のところ第二巻の一部分だけ読むつもりで借りてきている。

 

5分前ぐらいに列に並んだ。まもなく住所・氏名を書く紙を渡された。最後に、本と一緒に受付に渡すということなので、入場券のようなものであろう。

 

もう100人ほどが好きな本を選んだ後なので、期待はしていなかったが、それでも4冊ほど貰って帰ってきた。その一冊は

これは楽しめるかもしれない。書家に向けて書かれた本かも知れませんね

 

今は、2週間で返却しなければならないので、借りたほうの本を読み始めている。

『哲学の歴史』総論を読み、第一章 エピクロスと初期エピクロス学派 を読んでいる。なかなか面白い。『エピクロス』を読んだ後なので。

 

 

 

 

エピクロス

【自然の目的(快)にかんして(貧しく)、むなしい臆見にかんして富んでいる人を見出すのが、普通である。というのは、愚かな人は、だれも、持っているもので満足せず、むしろ、もっていないもののために苦しんでいるからである。ちょうど、熱病にかかっている人が、(病気の)悪性のためにいつものどが渇いていて、正反対のものを求めるのと同じように、霊魂が悪い状態におかれている人も、つねに、あらゆるものを必要とし、貪欲のために、移りやすい気まぐれな欲望に落ち込む。】p121

 

【幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである。】p125

 

【飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスとさえ競いうるであろう。】p92

 

エピクロス 教説と手紙』(岩波文庫)からの抜粋である。

これは、『ギリシャ哲学者列伝』の最後、第十巻と同じものらしい(解説による)

エピクロスは沢山本を書いたようだが、残っているのはこれだけらしい。

 

彼は、西暦前342~272頃の人である。アレクサンダー大王が亡くなったのがBC323である。彼によって世界の様相は、ギリシャ全盛の頃とは大きく変化したのだが、彼が後継者も指名せずなくなったので、領土は実力による分け取りとなり、それからは相当の混乱が続いたようだ。

民主制から独裁制へかわり、貧富の差が激しく、人も個人主義的にならざるを得なかったようだ。

中国の戦国時代に老荘思想が生まれたように、エピクロスの哲学が生まれた

 

この時代のことを少しだけ調べたのだが、なんか、これからの(現代世界の)未来にダブってくるような感じである。

 

・・・。現状を変更したいと願う人も少なくないのだろうが、日本に住むものとしては、それはより住みづらい世界になるだろうと予想されるので、今が最高とは思わないが、現状変更を阻止する側に回らざるを得ないのだろう と。

 

 

 

 

『老子』を読んでいての雑感か

この前の記事で「順序がぎゃくになっただけ」と書きました。

順序が逆になったら、普通は困る。例えば、靴下をはいてから靴を履く。これが逆になると拙い。

しかし、逆になっても問題のないことも多い。例えば、足し算・掛け算(引き算・割り算は拙いかな)

 

私が書きたいこととどんどんズレていってしまいそうなので、ここは、さらりと流し、話を自分の思いに戻す。

 

順序が逆、ということで、近頃の世相を思ったのであった。具体的に、詳しくは書かない(書けない)けれども、

順序が逆だと拙いことが、多いのではないか

問題が未解決のまま上書きされて行って、生身の人間が取り残される・・・

 

 

まあ。一番基本的に、自分で手の届くところということで;何のために生きているのだろうか

 

最初のボタンを掛け違うと、間違いに気づいたときには、全部外して、最初から掛け直すしかない。

これは大変だけれども、たぶん、それ以外に方法がない。

それ以外だと、ごまかしにごまかしを重ねて、結局

目先の利だけを見て生きてゆくということになってしまう。

たった一度の人生だから、それでもいいのかもしれない・・・

たった一度の人生だから、それでは拙いのかもしれない・・・

 

だって、間違いに気づくのは、かなり年を取ってから、ということは少なくないように思う・・・今更もとには戻れない。これから先は、ごまかしながら、つじつまを合わせて生きてゆこう。

どうせ、一回だけの人生だから。疲れないように、軽く行こう。

ということが多いかもしれない。

 

・・・・・・・・・

 

ボクは、近頃、鏡を見ることが多い。

それで、思うのは、《ずいぶん人相が悪くなってきたなあ》と。

あっちこっち、痛いところが増えてきて、顔をしかめたり、物を噛めない歯が有ったりして、皺の付き方が左右対称ではなくなってきたのだろうか

・・・・もっと根本的なところで

人相が悪くなる原因があるのではないだろうか

ひねくれた考えを持っているとか・・・・揉まれているうちにひねくれてしまっただろうし・・・最初のボタンに戻るといったって、なあ。

どこまで戻ればいいのか・・・付け焼刃で、笑顔を作ってみる。