波の音を聞いていて

石などを手に取って眺めていると、時間というものを考えさせられる。こんなちっぽけな、いま私の手に取っている石でも、出来てから100,000,000年ぐらいは経っていそうだ。一億年というと、・・・この石は恐竜に踏みつけられたことがあるかもしれない。・・・

 

海は、その頃からもう同じような音を立てていたのだろう。恐竜も、同じような波の音を聞いたかもしれない。

 

考えていると、それは昨日のことのようだ。

 

ボクは頭が悪いのか、時間というものがよく捉えられない。自分の子供の頃の事でも、ずいぶん前の事のようにも思うのだが、ともすると、つい昨日の事のようにも思える・・・

ぼけ始めると、そういうことがあるのか。それとも昔からそうだったのか、・・・誰もそんなものなのか・・・

 

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おそらく地球が出来て4,600,000,000年という。46億年というのはどのぐらいなのか、どうにも感覚的につかめないので、いろいろ考えるのだが・・・。

100年を一秒とすると、 46,000,000秒。たしかこれは一年半ほどだった。かなり長いなあ、と感じられる。100年を0,1ミリの厚さとすると、4,600,000ミリメートル。これは、4600メートル。生き物は死んだ後に0,1ミリのゴミ(喩えが露骨だが)を残すとすると、46億年では4600mのゴミが積もるということだ。今生きている全生物が死ねば、均せば0,1ミリぐらいにはなるだろうから、今までのすべてが積み重なってゆくものとすれば4600m・・・大変な量である。地球は富士山よりも高いゴミの山ということだ。

これが全然残っていないということは、分解されて再利用されている(循環している)

ということである。再利用と言えば、地球そのものが、太陽の二度の爆発で飛び散ったごみの再利用のようなものらしい。いまは三代目の太陽系らしい・・・

記憶も、積み重ならないのかもしれないな。

 

海岸を歩いていて、波打ち際に、貝殻が沢山流れ着いているのを見ていて、これでも相当な量なのだが、これだけの量では済まないはずだと思うとともに、たえず分解されて再利用されているからこそ、死体の山にはならないのだと、思ったのでした。

この石もあと一億年ぐらいあとには、影も形もなくなっていることだろう。

 

恐竜も、似たようなことを考えたことがあるかもしれない。ボクは、手に取ってそういうことを思っているのだが、恐竜はこの石を蹴飛ばしたかもしれないな。後も見ずに歩き去ったに違いない。