今、重力ということを、考え始めた。といっても、アインシュタインが考えた相対性理論とは全く関係がない。そういう難しいことは私には考えられない。
そうではなく、方向性、というようなものである。世界観と言ってもいい。
いま、重力が弱まってきているのではないか。地球の磁場逆転という話はちょくちょく取り上げられているが・・・それではない。私たちは、いつでも空を見上げて、空の彼方に憧れる、そういうものの消滅である。つよく縛られているが故の憧れ。
自分の生き方そのものが、自分で決められる・・・。しかし、抵抗のないところでは、自分というのは何だろうか。
赤とんぼに聞いたことがないので、分からないが・・・彼らは風に乗ってただよい浮かんでいることを無心に楽しんでいるように見える。それを疑っているようには見えない。ま、シンプルライフ
ジュラシックパークに出てくる恐竜も、図体はでかいのだが、鏡に映った自分に戸惑うとは思えない。
電線の上で囀っている小鳥は、ひょっとすると、何百回と繰り返す中で、おれは何をしているのだろうか?と思うことがあるのかもしれない・・・ときどき首を傾げているから。・・・メスが近くに居ないのだろうか。
生きものは、生きてゆくために餌を確保すること、と、子孫を残すための配偶者を見つけること、そのためにエネルギーの大半を消費する・・・それ以外は自由時間、あそんでいい。・・・ところが、今は、それ以外の自由時間だけになりつつある。
余暇、というなら、主になるものがあるので、重力は働いているが、遊びだけということになると、縛り付けるものは何だろうか。
先祖から受け継いだものを子孫に残す、そういう一本の筋を通していた時は、疑ったことのない、自分の人生が、重力の希薄な中で、妙に頼りなく感じる。すぐに宙に舞い上がってしまう・・・つなぎとめてくれるものが恋しい。
繫ぎ止めていてくれていたものが、これほど頼りないものであったことに、驚くとともに、無力感に侵される。
昨日、〔刑務所から出た翌日に、車で2人ひき殺し、逮捕されたときに「務所に戻りたかった」といったという話〕を読んだが、自分を繫ぎ止めておいてほしい、ということなのであろうか。・・・そこがドンナところでも、繫ぎ止めてくれるところなら!
若い時に、ある心理学者の言った「人間は本能が壊れている」という言葉に注目したことがある。自分を導く磁石を持っていないということである。学んでいく中で、磁石そのものを発見しなくてはならない。
今何十年後に振り返るに、社会規範がしっかりしている時には、自分の磁石はそれに同調する・・・しかし、社会規範が緩んでしまうと、それぞれの磁石が何処を向いているのか、分からないということになる。面白いと同時に、不安でもある。
社会生活を営む種でなければ、なんの問題も起らないのだろうが、三密集団を形成する人間では・・・
・・・ここまで書いてきて、さて。どちらを向いて書き始めたのだっけ?
上手くまとめられそうにないので、「雑談」ということで。