訂正かたがた、言い訳など。
地獄の鬼など見ていない。・・・一年ぶりに思い出したので、曖昧だった。すこし鮮明に思い出したので、書くと;
麻酔から醒める時に、”痛み”が最初に目覚めたようだ。(まだ自分という意識も体の感覚も戻っていない。)それは、ただ痛いだけの世界に生まれた、ような気持ちを生み、あまりの痛みにそこから逃れようとした。(声をあげたかもしれないが、その感覚はない。腕を振り回した感覚がおぼろにある。何かにぶつかった様な記憶がある)
鬼など何処にもいない。ただ痛いだけの世界で痛がっている。手もなく足もない、声も出せない。光もない。・・・そこに、”菩薩の(と私には思えたのだ)声”が聞こえて、それから、少しづつ、感覚が目覚めた、ということであろうか
昨日の作文は明らかに嘘が混じっているわけだが、今かいたこれにも、多分嘘が混じっている。避けられないのだろう。
阿含経典を読んでいて、3回目ともなると、いろいろ余計なことを考える。
”核”になっているのはお釈迦さまの行動なり話した言葉なのだろうが、そこにどういう増高が付け加わっているのだろうか、とか。
お釈迦さまのお弟子たちは、後に‹小乗›と貶められる。この「阿含経典」はその小乗と言われた人たちが守ってきたものである。
お釈迦さまの教えを忠実に守ろうとしてきた。そのことによって、どういう偏向が生じたのだろうか。
アショカ王が仏教に保護を加えてから、主流は‹大乗›へと大きく傾く。大乗は、時流に敏感に反応しながら進んできた。
小乗は出来るだけ時流に乗らないようにして生き残ってきたのだろう。
すると、お釈迦さまは国王などとも付き合いがあったのだが、小乗と言われるようになってからは、そういうところから徐々に遠ざかるようになっていったのではないか。といっても、布施をしてもらわないわけには行かないわけだが・・・権力者から遠ざかったということは、多くの弟子を養うことは難しくなっただろう・・・
お釈迦さまの時代とそれほど違わない小集団の生活を続けたに違いない
お釈迦さまが、生まれ故郷に向けて、最後の旅に出たころには、お釈迦さまの傍にはアナン尊者一人が付き添っているだけだったのだろうか。勿論、入れ代わり立ち代わり、説法を聞くために多くの弟子が出入りはしていただろうが・・・
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