『阿含経典』の周りをウロウロと。

当時の修行者の生き方は、托鉢で食を得る(その日の分はその日に頂く)わけだから、都市部では少し多くの修行者が生活できたが、田舎ではそれは難しかっただろう。托鉢しても何も布施してもらえない日も少なくなかったと思う。だから、

お釈迦さまの話を聞きたい人は少なくなかっただろうが、ときどきは、お釈迦さまはアナン尊者と二人ということもあったのではないだろうか。

 

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「サイの角のように独り歩め」たぶん、これがお釈迦さまの直弟子たちが教えられたことである。インドのサイは一本角らしい。また決して群れないらしい。

サイと違い、人間は群れる。

優れた弟子はともかく、普通は、一人には耐えられないであろう。

私は、師匠から「止めておけ。人間が卑しくなるだけだ」と注意されて、乞食坊主の道を断念し、小さなお寺のお守をすることになった。

師匠というのは良く人を見抜くものだ。当時は自分では分からなかったが、いま思うに、自分のようないい加減な奴は本物の乞食になってしまったに違いないのである。

 

つまり、阿含経典を読んで思うのは、お釈迦さまの弟子は、多くは、ほんとうに優れていたのだなあ、ということである。

それでも、数は少なかっただろうとも思う。アジア一帯に広がることはなかったろう。優れたものはそんなにたくさんは居ないだろうから。

 

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お釈迦さんは弁が立つ。理屈屋のようだ。・・・たぶん私は弟子になっても長続きしなかったのではないだろうか。理詰めで来られるのは勘弁してほしい方だから。

(子供の頃は屁理屈をこねて叱られていたのだが・・・)・・・それとも、インドに生まれれば理屈屋になるのだろうか・・・。

私は日本人だから、理屈が苦手なのだろうか・・・

 

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最初書くつもりでいたことからだんだん離れてきてしまったようだ

 

アマゾンの支流は何千本もあるらしいが本流はペルーから始まっているらしい。ペルーに出かけるときに読んだことがある・・・お釈迦さまから2500年、インドからいくつかの国を通って、日本に到達した。澄んだ透明な水であったものが、コーヒー牛乳のようなものになってしまっているのだろうか。と、不図思う。(コーヒー牛乳も悪くはないけどね)