死にたいと思うことが多かった。年を取ってきたら、生きたいという思いが募る。
面白いものだ。
これは、どういうことだろうか。
仏教の教えのなかに、五蘊盛苦、というのがある。生命力が満ち溢れて、それが苦となる。若い時の、死にたいというのは、この生命力のコントロールが難しいところから発生しているのかもしれない。
それに対して、今の、生きたいという思いは、病、生老病死の病からきているようだ。
それを忘れている、ことが難しい。たえず心臓起因の痛みを伴っている。これは気になる。絶えずと書いたが、じっさいは間欠的である。忘れそうになると思い出させられる、ようなあり様と言っていいかも。
だれにも、へそ曲がりなところがあって、左と言われれば、右と言いたくなるところはあるだろう。磁石のNとSが引き合うように、対になる言葉が呼び出される。
死ということの連想で、生が求められる。スイッチが入るのだろう。
言葉の魔術かも知れない。
ボクはまだ3か月である。・・・
・・・思うに、一年半ぐらい前に、無間地獄を見たのだが、あれと深く関連しているのかもしれない。あれは予告編だった・・・
年を取るというのは、一筋縄では行かないとは、思わないではなかったが・・・
・・・きわめて個人的な営みである、個人を意識せざるをえない。
『市塵』・・・生類憐みの令で悪名高い、将軍綱吉が亡くなった。いよいよ、白石が表舞台に出てくるのか。
白石は、消化器系に持病を持っていて・・・前総理の安倍氏のようだな、と思いながら読んでいる。
焦点を絞って対象をよく見れば、それぞれが、いろいろと、問題を抱えながら、歩いている。どの辺まで見るかは、好みだろうか。
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