何者が何しに?

有名な若手俳優が3人続けて亡くなった・・・黙とう

 

・・・どうも自殺らしい。

あれこれ理由が探されているが・・・

・・・そうなの?

 

・・・切っ掛けは、コロナで仕事がなくなったことだろう。

俳優というのは、仮面をかぶって、他人に成りすますこと。

有名な俳優だったということは、それが巧みであったのだろう。

仕事がないということは、仮面を脱ぎ、自分に戻り、自分でいるということ。

しかし、大半の時間を他人に成りすますことで過ごして来たら、短時間なら息抜きのようなものであろうが、長時間となると、自分でいるのはそうとう難しいかもしれない。

 

坐禅のようなものではないのか

 

日々忙しく動き回っている人間が、すべての動きを止めて、坐る。最初は、五感の働きが新鮮だが・・・やがて苦痛になる。・・・

 

一生坐禅ということになると、何のために生きているのか、分からなくなる。

そこから日常を発見するのは、人さまざまだが、すこし時間が掛かる。

 

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思春期に、オレは何者、何のために生きているの?と思わ(問わ)なかった人は少ないだろう。

その疑問を抜け出して、社会の中で、自分の仕事を見つけ、生活する。

言い方を変えれば、混沌(まだ子ども)が目鼻を穿つ(やりたいことを見つける)ようなことだ。混沌が死に、人が生きる。

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退職し、家にいるようになると、誰もが戸惑う。

 

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これがそうだというのではない。私は、こんなことを感じたのである。

 

自分でブログを書きはじめたときに、何か虚像になりすまそうか、と思った、でも、それは難しかった。自分に似ているが少し違う、ま、そんなところである。

そういうことを考える時、全く別人になりすます俳優は、特殊な才能に違いない、と感じた。それを演じるのは、誰かに見られているから、だろう。

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