つづき のような・・・

昨日の記事を書いて、しばらくして、オレもずいぶんいい格好したがりだなあ、と反省した。

それで補足しておこうという気になった。

 

私が初めてMRI検査を受けた時、20分ぐらいですから気楽にね、というようなことを言われたのだが、あの狭苦しい中で身動きしてはならないということで、緊張し始めたので、自然に呼吸を数え始めた。だんだんゆっくりになるように・・・

ボクは長い間「数息観」をやってきていたので、自然にそういうことをする。

 

20分はずいぶん長いなあ・・・と思っていたら、40分以上かかってしまったらしい。

自然ではなく、作為的に呼吸をコントロールしていたせいで長引いてしまったようだ。

 

また、心臓カテーテル検査の時も、不安を鎮めるために、自然に、呼吸を数えてしまっていた。あれで、心臓の異常が発見できなかった可能性はあるかもしれない。主治医は何も言わなかったが、首を傾げていたのだった。

不安で乱れるはずの所で乱れなかったら、測定できるはずのものが測定できないわけだから・・・

 

だから、多分。「延命十句観音経」はお唱えしないだろう。

呼吸を整え、さらに強く「無」と念じるに違いない。これは、習い性になっていることのようだから。

 

・・・でも、そんなことは、他人には教えられないし教える必要もない。言っても説明なしには伝わらないだろう。

・・・要は、ポイントは、今囚われてしまった想念から、こころを放す(開放する)ことだから、何でもいいのだ。その人の想うことなら。

 

”観音さん!”でもいい、”お父さん!!”でもいい、”お母さん!!”でもいい・・・わざわざ「念彼観音力」などと言わなくてもいい(お寺では観音経を毎日お唱えするので、この言葉はボクには親しい、のだが、普通の人にはあまり関係ないだろう)

 

咄嗟の場合には、その人が心を落ち着けるために使っている”呪文のようなもの”が自然に出てくるだろう。それでいいのだ。

格好つける必要は全くないのだ。

Uさんは、Uさんらしいことをして乗り越えようとしている。

 

ボクがとやかく言う必要はない。

お地蔵さんをあげることも無用の事だ。

ただ私のこころがそういう風に振れた、ということに過ぎない。

・・・・・・・・・・・・