『三国志』演義から正史、そして史実へ (中公新書)

この本は、後で読もうと思い、10日ぐらい前に手に入れたのだが、読まないで積んでいた。今回、荀彧のことが気になり、つまみ読みした。

 

第三章 曹操 変革者の実像 のところに荀彧の事が書かれてある。

 

【敗戦(赤壁の戦い)による混乱を収束させた曹操は、大局的な戦略を練り直す。天下の統一よりも、君主権力の強化と後漢に代わる曹魏の建国を優先するのである。儒教が正当化している漢を滅ぼすことは、天下の統一にも増して困難が予想される。荀彧ら名士の価値基準の根底には、漢を守ろうとする儒教が置かれていたからである。したがって、この後、曹操と荀彧の関係は、急速に悪化する。・・・中略・・・

荀彧を漢の忠臣と位置づけることは難しい。確かに最後は、魏の建国を阻もうとし、殺害されている。しかし、荀彧が最初から最後まで漢の忠臣でありつづけたとは言えない。・・・・】p93~94

このあたりに、荀彧についての、著者(渡邊義浩氏)の考え方がかなり丁寧に展開されている。わたしも、おおかた納得しました。と同時に、宮川先生の『諸葛孔明』の頃(昭和53年1978)よりも、ずいぶん研究が進んでいることを感じました。この本は2011年発行です。

儒教に代わるものとして文学(詩)を考えていたということは、初耳です。確かに、唐の時代には、科挙に文学が必修になるのですが・・・代わるものとして考えていたとは!儒教を相対化しなければならないほど、弊害が出ていたということなのでしょうね。・・・名士のグループというものが。確かに孔融が殺されたり、腐れ儒者と言われたり・・・儒者曹操に嫌われている様子は書かれていたが・・・。

・・・実務能力を持たない者が多かったのかな。

 

・・・・・