『三国志』 10

第六冊に入った。荀彧が死に、鳳雛先生が死んだ。

 

荀彧は、何故、曹操と距離が出来てしまったのか。袁紹の元を去ったときの思いと重なるところがあるのだろうか。官途の戦いごろまでの彼は、法家そのもののように感じた。曹操と打てば響く様な関係だったように見えたのだが。やはり簒奪は別なのか。

 

鳳雛先生を見ていると、やはり荊州の狭い名士集団の中での評判に過ぎなかったのかな、と感じる。自分を殺して師に仕える、ことが出来なかったというのか、法家そのものというのか。残念である。

 

そうそう。張松は殺されてしまいましたね。ということは、権力を握ってからの復讐というのは誰だったのでしょうかね。私は誰と勘違いしていたのでしょうか。・・・もう少し先にならないと分かりませんね。

 

孔明が蜀に出向くことになり、後の事は関羽に託される。しかし、関羽は、結局は孔明のアドバイスに従わないで、死ぬことになるのだが・・・関羽孔明を立ててはいたが、かならずしも納得していたわけではない、ということなのだろうか。託された領土は何がなんでも守る、という思いが強すぎたのか。

 

そうそう。岸田総理をニュースで見ている(ニュースを毎日見るようになったのはここ2か月ほどに過ぎない)と、袁紹を思い出す。

人の話を聞いているうちに、決断が鈍くなる・・・。

 

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確か、ダーウィンが『種の起原』を始めて発表したのは1860年ごろである。ビーグル号航海から何十年も経過していたが・・・慎重なダーウィンも、ウォレスに先を越されそうになり、発表に踏み切る。(教会から追及されるのを恐れて生前には発表しないつもりで居たらしいが)

機は熟していたのであっと言う間に世界中に広まる。「種の変化」というより「進化」の側面が独り歩きする形で。というより、進化という考え方は、教会が進化を否定していたこともあって、ずっと燻っていたのだろう。

漱石とその時代』に、当時の東京大学では、ハーバート・スペンサーの社会進化思想が教えられていたことが書かれている(社会進化思想は現在では否定されている)

ニーチェ』には、ギリシャ時代からの、生の哲学ともいうべきものが、音楽的に、展開されているように感じるが・・・教会からの解放というのが、社会全体にどれほどの大きさで、広がっていったか・・・逆に言えば、教会の締め付けが、どれほどの閉塞感をもたらしていたか・・・

ビッグバンという言葉が浮かんでくる。まだその影響は続いている・・・

 

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アルブレヒト・デューラーの絵を見ている。

「彼の指ほど繊細なものを見た人が、はたしていただろうか」と言われたらしいが、確かに。

 

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今日は、節分。豆まきの日である。暦の上では、明日から春ということだが。

確かに、方々で梅の花を見かけるようになってきている・・・