ダーウィンはおもしろいですね  2

昨日、推理小説のような面白さ、と書きましたが

さらに、総合智のような

総合智というのは、知識を総動員して考えるような

楽しさ、と言ったらいいか。

 

・・・年表を繰っていると、なぜ、進化するという考えがこんなにも遅れたのだろうと不思議になる。ヘーゲル(とかマルクスとか)よりも随分後の時代の人である。

ボクが日本人だから、キリスト教の縛りに鈍感なのかも知れない。

・・・若い頃一緒に修行していたイタリア人が、子どもの頃(たぶん60年代のことだ)、宗教教育にかなり反発したようなことを言っていたことを思い出す。(今だってアメリカ映画を見ると、宗教の圧力をつよく感じる)・・・ボクのこども時代には、日本では平和とか正義とかの圧力が強かったなあ

 

コペルニクス的転回という言葉がある・・・天動説から地動説へと発想を転換する

・・・それと同じように、

神の創造だから変化しない

というものを、

ずっと変異してきたのだ、これからも変異する

 

(標準から外れたのは誤差だという考え方から、すべては変化しているので標準も誤差も人為的な単なる目盛りに過ぎないという考え方に)

 

というように、がらっと根本的なモノの見方を転換した。

 

これは、大航海時代を経て、あらゆるものが変化の渦中に投ぜられた時代だからこそ

みんなの呼吸する空気が大きく変わってきたからこそ

誰もが感じていたことで、すぐに受け入れられたのであろう。

おそらくダーウィンの周囲は誰もが、似たような気分の中に居たのだが

発表することには

戦々恐々としていた。(口に出してはいけないことだった)

 

ウォーレスの論文に触れる機会がなければ、まず、生前には発表しなかった可能性は高いように思う。

 

誰もが思っていても口に出してはいけない

それを口に出して言う。

これは誰にもできることではない。

 

しかし、それを言うには、ウォーレスの後押しと、これだけの状況証拠の山を必要としたのである。

 

・・・ウォーレスなしにはその勇気が出たかどうか。

病気がちの優しいダーウィン